Up 「自己」 の存在論 作成: 2025-10-24
更新: 2025-10-24


    存在は,存在階層の中の存在である。
    その階層を上がるか下がるかすると,無くなる。

    例えば,雲。
    雲に寄って行くと,雲は霧に変わり,無くなる。

    存在階層を変えれば,有ったものが無くなり,無かったものが有るようになるということで,「色即是空空即是色」。
    科学的存在論は,この存在論,即ち存在階層論である。

    存在階層論は,「自己」とか「意識」にも適用されることになる。
    それは,有るとも言えるし無いとも言える。
    どこの存在階層でその存在を問うか,という話である。


    存在階層は,観察の階層である。
    言い換えると,現象の階層である。

    存在は,観察と込みである。
    観察から独立した存在を考えることは,できない。

    例えば,雲。
    観察から独立した雲を考えることはできない?
    ──「考えられるって? ではそれはどんなもの?」

    この存在論は,「自己」とか「意識」にも適用されることになる。
    これは,観察者に対して,現象として存在する。

    「自己」の存在様式は,「観察者Aには現れ,観察者Bには現れない」である。
    特に,「自己」に本当も・嘘 (演技) もない。

    実際,ひとはいまの自己が本当なのか嘘なのかわからない。
    わからないのは,難しからではなく,もともと「本当・嘘」が無いからである。


    「観察者Aには現れ,観察者Bには現れない」とは,どういうことか?
    「現象は,観察者の自己投影の反射像」ということである。
    こうして存在は,観察者の状態 (経験値・状況) と込みになる。

    存在論の現象主義的側面,主知主義的側面は,存在論のリアリティである。
    「観察者依存から免れている存在」は,背理である。