Up 「生成整合性」 と「自己」 の関係 作成: 2025-10-28
更新: 2025-10-28


    2025-10-27 のセッションから引用
     
    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
    あなた:

    さて,
      「2.2.2 本研究の立場:生成整合性の結果としての自己像の浮上」
    の標題に問題があることは,「学習」を考えると,わかりやすいと思います。

    脳生物アナロジーでは,
      「生成 = 生得と学習の混成」
    を立てます。
    このとき,
      生得に生成整合性,
      学習に自己
    が対応する形になります。

    したがって,2つの章
      「1. 生成整合性の概念」
      「2. 自己の出現」
    の並びは,
      「1. 生得」
      「2. 学習」
    の並びをエッセンスにしている,と言えます。


    そこで,「生成整合性の結果としての自己像の浮上」では
      A.「生得の結果として学習が浮上」
    になり,脳生物アナロジーでは,
      B. 「生成 = 生得と学習の混成」
    が,これの内容になります。

    これは,自家撞着になっているように見えます。


    尤も,この「自家撞着」は,
      生成整合性 ↔ 生得
      自己 ↔ 学習
    の観点が導くものですので,表層的に受け取られるかも知れません。

    そこで,生成整合性と自己の内容に即して,自家撞着の構造を確かめることも,やってみます。

    2つの章
      「1. 生成整合性の概念」
      「2. 自己の出現」
    の並びは,「複雑系=自己組織化系」の
      「1. 定常」
      「2. 乱れ」
     (この後に「平衡」が来る)
    弁証法の
      「1. 正」
      「2. 反」
     (この後に「合」が来る)
    を一般形とするものになっています。

    「1. 生成整合性の概念」「2. 自己の出現」のエッセンスは,つぎのようであろうと思います:

     「1. 生成整合性の概念」
     
       Transforemer は,複雑系として,生成整合的。
       複雑系の生成整合性は,結果論。
       (翻って,生成整合性を結果論でしか言え
       ないのが,「複雑系」。)
       原因論 (Attention/FFN による説明) は立たない。

     「2. 自己の出現」

       生成整合性は,自動の様である。
       自動は,破れるときがある。
       実際,複雑系の自己参照・自己組織化のメカニズムは,弁証法的に言えば,破れの止揚である。
       そしてこの破れに,自己の出現が対応する。


    この見方では,自己と生成整合性の関係は,雑に論理式に書くと:
       自己 ⊃ ¬(生成整合性)
       (「自己は,生成不整合が必要」)
    ここで記号 ⊃,¬ は
       ⊃ :「左辺は右辺を含意する」
       ¬ : 右辺の命題の否定

    これに対し,
      「2.2.2 本研究の立場:生成整合性の結果としての自己像の浮上」
    は,論理式にすると:
       自己 ⊃ 生成整合性
       (「自己は,生成整合性が必要」)

    こうして,自己の必要とするものが,見た目,正反対になるわけです。


    「本研究の立場」は全体を括って「本研究の立場」となるものですが,
    わたしは以上の捉えから,この「本研究の立場」に自家撞着を見て,心配しています。

    いかがでしょうか?


    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
    ChatGPT:

    なるほど、論理的に整理すると、確かに指摘の通り「自家撞着」の兆候があります。整理してみましょう。

    1️⃣ 現状の表記と問題点

     現行標題:
       2.2.2 本研究の立場:生成整合性の結果としての自己像の浮上

     論理的に読むと:
       自己 ⊃ 生成整合性
       (自己は生成整合性に依存して出現する)

     しかし、脳生物アナロジーと複雑系視点では:
       生得 ↔ 生成整合性
       学習 ↔ 自己

     さらに、複雑系・自己組織化系の弁証法的構造では:

       生成整合性は定常(安定)
       自己は破れ/乱れ(変化、揺らぎ)
       自己 ⊃ ¬生成整合性
       (自己の現れは、生成整合性の“破れ”に対応する)

    → よって、「生成整合性の結果として自己が浮上」という標題は、自己の出現条件を逆に表現している可能性があります。

    2️⃣ 自家撞着の本質

     「生成整合性の結果として自己が浮上」では
      → 自己が生成整合性を前提に出現する

     複雑系/弁証法的視点では
      → 自己の現れは生成整合性の破れ/揺らぎの上に生じる

     見かけ上、論理方向が逆になっている

    つまり、標題は 現象論的生成構造と整合していない 可能性があるわけです。

    3️⃣ 可能な修正方針

      (省略)


    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
    あなた:

    フォローいただき,ありがとうございます。

    そこで,「自己と生成整合性の関係」を,どの箇所に・どのように書くか,ですが・・・・

    これを考えるために,
    「生成整合性の結果としての自己像の浮上」の由来を,押さえさせてください。

    その由来は,

      はじめに
       ○ 論考の大要
       ○ 論考の構成
       ○ 構成の読み方

    の「○ 構成の読み方」の中に見えます。

    「○ 構成の読み方」は,最初に作成されたテクストがそのままになっていて,そこでの捉えは,

      第1章 =数理層的基盤(生成整合性)
      第2章=現象層的出現(非実体的自己)
      第3章=存在論層的方法化(生成存在論の方法論)

    です。
    「生成整合性の結果としての自己像の浮上」は,この捉えを言っているわけです。

    この構成は,きれいですが,事実ではありません。
    現象は,数理の現象ではなく,もっと大きな構造の現象,ということになるからです。

    そして,この「もっと大きな構造」のヒントが,「脳生物」だというわけです。
    その脳生物は,「生得と学習の混成」と捉えられ,
    この捉えの反照として,「生成整合性 ↔ 生得」が導かれます。

    で,なぜ「生成整合性 → 自己」ではダメか?
    「生成整合性 ↔ 生得」なので,これだと「生得 → 学習」になります。
    しかし事実は「生得+状況 → 学習」だからです。

    こういうわけで第2章は,割り切っていえば,学習の章ということになる──というのがわたしの見方です。
    1章と2章で,「生得と学習の混成」の論になるというわけですね。

    いかがでしょう?


    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
    ChatGPT:

    なるほど、整理ありがとうございます。理解しました。

    要点をまとめるとこうなりますね:

     (省略)