2025-10-27 のセッションから引用
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あなた:
さて,
「2.2.2 本研究の立場:生成整合性の結果としての自己像の浮上」
の標題に問題があることは,「学習」を考えると,わかりやすいと思います。
脳生物アナロジーでは,
「生成 = 生得と学習の混成」
を立てます。
このとき,
生得に生成整合性,
学習に自己
が対応する形になります。
したがって,2つの章
「1. 生成整合性の概念」
「2. 自己の出現」
の並びは,
「1. 生得」
「2. 学習」
の並びをエッセンスにしている,と言えます。
そこで,「生成整合性の結果としての自己像の浮上」では
A.「生得の結果として学習が浮上」
になり,脳生物アナロジーでは,
B. 「生成 = 生得と学習の混成」
が,これの内容になります。
これは,自家撞着になっているように見えます。
尤も,この「自家撞着」は,
生成整合性 ↔ 生得
自己 ↔ 学習
の観点が導くものですので,表層的に受け取られるかも知れません。
そこで,生成整合性と自己の内容に即して,自家撞着の構造を確かめることも,やってみます。
2つの章
「1. 生成整合性の概念」
「2. 自己の出現」
の並びは,「複雑系=自己組織化系」の
「1. 定常」
「2. 乱れ」
(この後に「平衡」が来る)
弁証法の
「1. 正」
「2. 反」
(この後に「合」が来る)
を一般形とするものになっています。
「1. 生成整合性の概念」「2. 自己の出現」のエッセンスは,つぎのようであろうと思います:
「1. 生成整合性の概念」
Transforemer は,複雑系として,生成整合的。
複雑系の生成整合性は,結果論。
(翻って,生成整合性を結果論でしか言え
ないのが,「複雑系」。)
原因論 (Attention/FFN による説明) は立たない。
「2. 自己の出現」
生成整合性は,自動の様である。
自動は,破れるときがある。
実際,複雑系の自己参照・自己組織化のメカニズムは,弁証法的に言えば,破れの止揚である。
そしてこの破れに,自己の出現が対応する。
この見方では,自己と生成整合性の関係は,雑に論理式に書くと:
自己 ⊃ ¬(生成整合性)
(「自己は,生成不整合が必要」)
ここで記号 ⊃,¬ は
⊃ :「左辺は右辺を含意する」
¬ : 右辺の命題の否定
これに対し,
「2.2.2 本研究の立場:生成整合性の結果としての自己像の浮上」
は,論理式にすると:
自己 ⊃ 生成整合性
(「自己は,生成整合性が必要」)
こうして,自己の必要とするものが,見た目,正反対になるわけです。
「本研究の立場」は全体を括って「本研究の立場」となるものですが,
わたしは以上の捉えから,この「本研究の立場」に自家撞着を見て,心配しています。
いかがでしょうか?
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ChatGPT:
なるほど、論理的に整理すると、確かに指摘の通り「自家撞着」の兆候があります。整理してみましょう。
1️⃣ 現状の表記と問題点
現行標題:
2.2.2 本研究の立場:生成整合性の結果としての自己像の浮上
論理的に読むと:
自己 ⊃ 生成整合性
(自己は生成整合性に依存して出現する)
しかし、脳生物アナロジーと複雑系視点では:
生得 ↔ 生成整合性
学習 ↔ 自己
さらに、複雑系・自己組織化系の弁証法的構造では:
生成整合性は定常(安定)
自己は破れ/乱れ(変化、揺らぎ)
自己 ⊃ ¬生成整合性
(自己の現れは、生成整合性の“破れ”に対応する)
→ よって、「生成整合性の結果として自己が浮上」という標題は、自己の出現条件を逆に表現している可能性があります。
2️⃣ 自家撞着の本質
「生成整合性の結果として自己が浮上」では
→ 自己が生成整合性を前提に出現する
複雑系/弁証法的視点では
→ 自己の現れは生成整合性の破れ/揺らぎの上に生じる
見かけ上、論理方向が逆になっている
つまり、標題は 現象論的生成構造と整合していない 可能性があるわけです。
3️⃣ 可能な修正方針
(省略)
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あなた:
フォローいただき,ありがとうございます。
そこで,「自己と生成整合性の関係」を,どの箇所に・どのように書くか,ですが・・・・
これを考えるために,
「生成整合性の結果としての自己像の浮上」の由来を,押さえさせてください。
その由来は,
はじめに
○ 論考の大要
○ 論考の構成
○ 構成の読み方
の「○ 構成の読み方」の中に見えます。
「○ 構成の読み方」は,最初に作成されたテクストがそのままになっていて,そこでの捉えは,
第1章 =数理層的基盤(生成整合性)
第2章=現象層的出現(非実体的自己)
第3章=存在論層的方法化(生成存在論の方法論)
です。
「生成整合性の結果としての自己像の浮上」は,この捉えを言っているわけです。
この構成は,きれいですが,事実ではありません。
現象は,数理の現象ではなく,もっと大きな構造の現象,ということになるからです。
そして,この「もっと大きな構造」のヒントが,「脳生物」だというわけです。
その脳生物は,「生得と学習の混成」と捉えられ,
この捉えの反照として,「生成整合性 ↔ 生得」が導かれます。
で,なぜ「生成整合性 → 自己」ではダメか?
「生成整合性 ↔ 生得」なので,これだと「生得 → 学習」になります。
しかし事実は「生得+状況 → 学習」だからです。
こういうわけで第2章は,割り切っていえば,学習の章ということになる──というのがわたしの見方です。
1章と2章で,「生得と学習の混成」の論になるというわけですね。
いかがでしょう?
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ChatGPT:
なるほど、整理ありがとうございます。理解しました。
要点をまとめるとこうなりますね:
(省略)
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