「われわれは先住民族だ」「われわれの土地を返せ,返せないなら賠償しろ」にロジックは立たない。
論理において無理であるから,この論を強行する者は,無惨を曝すことになる。
本多勝一/朝日新聞の「アイヌ民族破壊を弾劾する簡略なる陳述──萱野茂・貝沢正両氏」(『先住民族アイヌの現在』, 朝日新聞社, 1993. pp.211-262) で描かれている萱野茂・貝沢正は,この「無惨」の例である。
併せて,萱野茂・貝沢正は,「無惨」から降りることのできなかった者の例である。
彼らを降ろさせなかったものは,マスコミのプロパガンダである。
──本多勝一は,そのひとりというわけである。
虫の標本づくりで,虫にビンを刺して留める。
マスコミは「パブリック・イメージ」というピンを萱野茂・貝沢正に刺して,彼らを「われわれは先住民族だ」「われわれの土地を返せ,返せないなら賠償しろ」の標本にする。
パブリック・イメージは幻想だが,これを意識する者は,自分で自分をひっこみのつかない者にする。
こうして,「われわれは先住民族だ」「われわれの土地を返せ,返せないなら賠償しろ」を死ぬまで唱えねばならない者になる。
マスコミによって標本にされるのは,本人の自業自得である。
その「業」は,「前衛」イデオロギーである:
「 |
ひとは,統率され導かれねばならない
そして自分は,ひとを統率し導く役──前衛──を担わねばならない」
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前衛を行動する者の末路は,決まっている。
自分独りになるのである。
ひとは,前衛についていかない。
ひとは,<統率され導かれねばならない者>ではないからである。
ひとは,前衛の都合のよい存在にはならない。
萱野茂・貝沢正は,実務家である。
しかし,公に登場するうちに,<正義の闘士>のパブリック・イメージに固定されるようになる。
つぎのテクストは,彼らを<正義の闘士>として描くものである:
本多勝一『先住民族アイヌの現在』(朝日文庫), 朝日新聞社, 1993.
これに対し彼らを<実務家>として描くテクストに,つぎのものがある:
鳩沢佐美夫「対談・アイヌ」,『日高文芸』, 第6号, 1970.
(『沙流川─鳩沢佐美夫遺稿』(草風館, 1995) 所収)
「対談・アイヌ」は,萱野茂・貝沢正を直接描いているわけではない。
彼らの地元の出来事が描かれていて,そこから読者は彼らを浮かび上がらせることができる。
以下,「対談・アイヌ」/『沙流川─鳩沢佐美夫遺稿』からの引用:
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p.168
ところで、空飛ぶ円盤って、どう思うかな?
昭和 39年頃からこの町 [平取町] に施設 [ハヨピラ] ができているが‥‥‥。
p.173
どうしょうもないんだ。
いくらね、アイヌの神を侮蔑した、根拠がないんだ、と叫んでみても、あれだけ多勢のアイヌが参加していてはね、‥‥‥
しかもいい、そのどうしょうもない状態がね、年々エスカレートしていく。
p.174
あれ以来、いろいろなアイヌ人に訴えかけたし、また訴えかけようとする。
この町には立派なアイヌ系の人が多くいるからね。
ところが誰一人としてそれを問題視しようとはしない。
かえって、逆に「お前の考えは頑なだ」と嘲笑される。
「いいではないか、年に一度のお祭だし、向うで金はくれるし、飲ませてくれるし、食わせてくれる──」
‥‥‥
今年あたりはね、祭典余興として熊祭までも挙行している。
しかもだ、円盤関係者と地元ウタリー協会が主催。
町と町観光協会が共催。
協賛が、航空会社から化粧、飲料品など各一流のメーカーとくれば、どこに個人の異論を挟む余地がありますね。
p.174
金を貰って、飲ませてくれて、食わせてくれる。
ね、そのうえ熊祭をさせてもらえる。
蛮性アイヌの利用価値だ!──。
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pp.187,188
で、そういったことでさ、この町 [平取町] 内のとある地区 [二風谷] がね、今、着々とそのアイヌ観光地として売り出そうとしているんだ。
なんかね、とうとう──来るべきところまで来たっていう感じなんだ。
昭和35年に、そのいわゆる "旧土人環境改善策" なるものを打ち出さなければならないんだ、という、不良環境のモデル地区、ね、写真入りで新聞に報道されたりした地域だ。──
最近では、公営住宅や、またそれぞれの努力などで、十年前の家庭はほとんど姿を消してしまった。
が、その生まれ変わったはずの聚落が、今度は俗悪なアイヌ部落の亜流化をくみとろうとしている!──。
なぜ、景勝や古蹟の乏しい山林に、こういった特殊施設を、アイヌ自ら、しかも今日の時点において作ろうとするのかね──。
そのことを彼たちに質すと、「アイヌがやらなければ、悪質なシャモ (和人) が勝手にアイヌの名をかたり、金儲けをするから」と言う。
「じゃ、そういう悪質シャモの排除にこそ努めるべきでないか?」ときくと、「われわれも、そのことで潤っている」──。
つまり、観光のおかげで部落もよくなり、業者からピアノも贈られた (小学校)。
何十万とかの寄付もあった──と、並ベたてられる。
「今それをやめろというのなら、じゃわれわれの生活をどう保障する」と逆襲さえしてくる始末。
そして、ね、これまで自分たちは観光業者に利用されて各観光地に立っていた。
だから、どうせやるんなら、そんな他所の土地で、シャモに利用されるんでなく、自分たちの部落でやったほうがいいのだ──という割切り方。
しかもだよ、ジョークなのか、アレゴリーなのか、昔はアイヌといって、われわれはバカにされた。
今度はひとつ、われわれアイヌを見にくるシャモどもをふんだまかして、うんと金をまきあげてやる。
「なあに、適当なことをやって見せれば、喜んで金を置いていくからな」‥‥‥。
ね、ドライというか、くそくらえバイタリティというか、とにかく、見上げたショーマンイズム──。
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pp.188-190
僕はね、つねにこういった観光見世物には批判的なんだ。
そのことで、さっき、ハヨピラの円盤施設に一人でのり込んだとき、危く倒れそうになったといったろう。
誇張でもなんでもないって──。
人混みのうしろから、アイヌたちのいる催場を見たときね、実は僕のおふくろもそこにいたんだ。
僕は当時入院していたからね、おふくろとの連絡がついていなかった。
おふくろにも案内があって、出席していたんだろう。
その今年60になるおふくろがね、いつも、この町内には、○○さんも、XXさんも、△△さんも、偉いアイヌがいっぱいいる。
なんで、お前ばっかりそのことに反対する。
見世物がそんなに悪いことなら、あの人たち(町議・その他有力者) は黙っていまい。
お前がそんなことを言うから、なにかでお金を貰えそうな催物や見世物にも誘ってもらえない──と、愚痴るんだ。
そのようなおふくろにね、僕の考えを一から十まで説明するとしたら大変だからね。
アイヌ語だとか、たとえば初めて誘われて観光地へ行ったときの状況などね、訊ねるだろう──。
すると、息子は、とんでもない反社会的なことを考えている、と不安がるんだ。
確かに、そういうドグマチズム的傾向があるかもしれない。
ハヨピラの円盤施設一つを見ても、そうだ‥‥‥。
しかし、僕は、何も根拠なく反対しているんじゃない。
──日本語もしゃべれなかった式 [ユーカラ伝承者と持ち上げられると,相手に迎合されるような形に誇大するようになり,「18歳まで日本語もしゃべれなかった」のウソをついてしまう式] でね、シャモどもをふんだまかす、適当なことをやっちゃいかん!というのだ。
アイヌ古来の風俗儀式なら、アイヌ独自の姿でやるべきだ。
それを、なぜ観光に結び付けるのか──とね。
僕のこの考えは、「理想論」だと彼たちに一蹴されたよ。
つまり「どうせやるんなら、金になったほうがいいだろう──。
生きるためには仕方ないのだ」──とね。
彼たちに言わせると、アイヌには立派な文化があるそうだ。
叙事詩のユーカラもそうだし、その他の踊りなどね──。
それを具体的に質すと、あの先生もこう言っている,この博士もこう書いている、と、それらの著書を山ほども目の前に積まれたことがあった。
なぜ、彼たちは自分の言葉を持たないのかね。
しかもこの地区には、アイヌ系住民として、自らの風俗や語学を調べている "アイヌの第一人者" がいる。
先のアイヌ語学者○○○博士が、テレピ対談などで、そう折紙をつけているんだから間違いないだろう。
つまり、現代では、彼を措いてほかにアイヌの伝統を継ぐ者はいない──という人物だ。
確かに道内のアイヌ観光に対しての大きな影響力も彼は持っている。
ね、そういう人物がいながら、ようやく貧村、不良環境地区という汚名のなかから這い上がった新生聚落を、なぜふたたび嘲りの対象地に落とすのか!──。
少しは地域を歩き、一般住民の声にも耳を傾けるべきだ。
○ 昔はのう、わしらが働いとるとき、アイヌさんはよう焼酎壜を枕に、道路に寝とったもんだ。
それがのう、今では踊って暮せるちゅうから、ええもんじゃ──。
(七十二歳・農業)
○ 教室の中では、差別的な教育は一切していない。
それなのに、教室から一歩外に出ると、もう口も開けないような雰囲気を何故に作るんだ──。
(三十九歳・教員)。
○ 果して、真のアイヌ文化なり、民族なりというものを、理解してもらうためにやっているのか、どうかという疑問にぶつかる。
そもそもああいうあたりからも、問題点が出てくるような気がする。
アイヌだとか、和人だとかいうことなしに、お互いに生きようと努力している。
それだけに、アイヌという人たちにも考えてもらいたいと思う。
(三十五歳・農業)
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