ひとは,「アイヌには身体的特徴があり,それがアイヌを直接表しているものだ」の思いを強くもっている。
顔の彫りが深いとか,体が毛深いとかである。
この認識は,誤りである。
そして,この認識を最も強く却けることになるのが,他ならぬ "アイヌ" である。
アイヌの身体的特徴というものは,無い。
あると思われているのは,つぎのような論が流布しているからである:
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瀬川拓郎 (2007), pp.18,19
古いヒトの形質を研究する学問は、形質人類学や自然人類学などとよばれ、歴史学である考古学とはちがって自然科学に属する(註)。
骨の形態学的な研究が主流だが、一九七〇年代以降はミトコンドリアDNAなど遺伝子研究もおこなわれてきている。
アイヌの系統については、石器時代人 (縄文人) がアイヌか、あるいは非アイヌ (コロポツクル) か、という論争が明治時代からおこなわれてきた。
しかしその後は、縄文人とアイヌは形質的にちがったものとする考えが主流を占め、一九五〇年代まではコーカソイド (白人) 説が世界的に受け入れられていた。
ところが一九六〇年代に入ると、縄文人骨とアイヌの共通性が埴原和郎や元国立科学博物館の山口敏らによってあらためて認識され、アイヌが日本人の成り立ちに深くかかわっていると考えられるようになった。
現在では、アイヌは縄文人の子孫であるという認識が常識化しているが、意外にもその説の歴史はまだ浅い。
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ひとはこの手の論に対し,つぎの疑問をもつことがない:
彼らがデータをとった「アイヌ」「縄文人」は,どんな資格を以て「アイヌ」「縄文人」なのだろう?
「標準的アイヌ」「標準的縄文人」というのがあるのだろうか?
あるというのなら,彼らは「標準的アイヌ」「標準的縄文人」にうまく行き当たったのだろうか?
知るべし。つぎも「アイヌ」である。
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砂沢クラ (1983), p.49
テンラエカシの祖父はロシア人だったので、エカシはロシア人そっくりでした。
目は黒かったのですが,肌は透き通ったピンク色でヒゲは赤く、背も六尺 (約一八〇センチ) 以上ある大男でした。
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山本多助 (1948), p.32
わが一族の古老たちによると、われらの先祖は青森から船出して網走に上陸、その後クシリ (釧路) に定住したのだという。
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論者は「古いヒトの形質を研究する学問は、形質人類学や自然人類学などとよばれ、歴史学である考古学とはちがって自然科学に属する」と述べているが,これは誤りである。
形質人類学は,自然科学を装った考古学であり,自然科学から見ればエセ科学である。
形質人類学の間違いは,文化に「人種」を対応させることである。
そして,身体的特徴を以て「人種」を立てることである。
身体的特徴を以て「人種」を立てるのは,ひとの通俗である。
形質人類学は,この通俗にそっくり乗っかる。
自然科学は,形質を以て「人種」を立てるなどということはしない。
自然科学 (生物学) は,人の形質──これのバラエティ──を「自然選択」で説明する。
例えば,体毛の濃さ。
寒冷地にあって薄着で生活する集団は,体毛の濃い個体の割合が増える。
種の多様性は,<かなり近い潜在性>の上の発現の多様性である。
同一種内の個の多様性は,<ほぼ同じ潜在性>の上の発現の多様性である。
したがって,環境 (土地柄) の反映として,集団の個の特徴的形質というものが割と速やかに現れることになる。
また,形質は絶えず変化するものなので,隔たった場所にある二つの集団は,自ずと異なる形質の進化を現すことになる。
進化を悠久の時間の出来事のように思っているとすれば,それは大きな間違いである。
引用文献
- 瀬川拓郎 (2007) :『 アイヌの歴史──海と宝のノマド』(講談社選書メチエ), 講談社, 2007.
- 砂沢クラ (1983) :『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983
- 山本多助 (1948) :「釧路アイヌの系図と伝説」
チカップ美恵子編著『森と大地の言い伝え』(北海道新聞社, 2005) 収載 : pp.21-84
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