Up | <子ども>と<おとな> | 作成: 2016-11-23 更新: 2016-11-25 |
この成長は,生物の自然が段々と抑制・抑止されていくプロセスである。 特に,<子ども><おとな>は,年齢のことではなく,精神年齢のことである。 <子ども>から<おとな>へと成長を,「いじめ(加虐的)」で考えてみる。 生物界は,いじめの系である。 <子ども>は,生物の自然として,いじめをする。 <子ども>とは,いじめをするものである。 <子ども>のいじめは,<子ども>の含意 (implication) である。 特に,<子ども>のいじめは,無くなるというものではない。 「いじめをやめさせる」は,「いまやっているいじめをとりあげる」である。 <子ども>は,いまやっているいじめをとりあげられたら,新たないじめをつくり出すだけである。 何をいじめの形にするかは,恣意である。 要点は,わかりやすい・やりやすい形が選ばれるということである。
「わかりやすい・やりやすい形が「アイヌいじめ」だから,「アイヌいじめ」をする」である。 「いじめ」は,生物の自然であるが,深刻な問題と定めるものである。 深刻な問題であるのは,これが恐喝・暴行・虐待へと進行するからである。 はじめはシャレのレベルでも,シャレかシャレでないかのレベルをたちまち超えてしまう。 <子ども>のおとながするいじめと,子どもがするいじめの違いは,恐喝・暴行・虐待が抑制されるかどうかである。 <子ども>のおとなのがするいじめは,「冷遇」である。 また,<子ども>のおとなのいじめでは,いじめられるのは<子ども>のおとなである。 (例 :「ママ友トラブル」) <おとな>のおとなにとって,<子ども>のおとなのトラブルは,単に無視してかかればよいものである。 ──この構えは,「小市民トラブル」全般に妥当する。 |