Up | 義経蝦夷行伝説 | 作成: 2024-12-12 更新: 2024-12-12 |
これらは,その「義経」が本当に義経であれ,義経を騙った者たちであれ,後から義経にされた者たちであれ,武士の形で北海道 (蝦夷) に入ってきた者たちがいたことを示している。 津軽海峡を渡るのは,特別なことではない。 最短距離は 20km 以下。 追風(おいて)に帆かけて時速 20km だと,1時間で着く計算である。 津軽海峡に面する下北・津軽の漁師は,はるか昔から,北海道側にも漁業小屋 (番屋) を設けていたことになる。 しけて北海道に流されたときの避難所が要る。 そして,漁場も拡がる。 天候と潮の流れを読む漁師にとって,好機をとらえて津軽海峡を渡ることは,特別なことではなくなる。 そして北海道の漁場が気に入れば,そこに移住ということになる。 移住したそこには,漁をするアイヌがいる。 このとき移住者は,先住者と共棲することになる。 新しい地の勝手は,先住者に教えてもらわねばならないからである。 そしてこの関係の中で,移住者・先住者の区別が世代を経て無くなる。 渡来者が武士の場合は,どうなるか。 彼らは専ら武力が技能なので,漁撈ではなく狩猟を生業とする内陸のアイヌに同化するかも知れない。 そして能力を発揮しそれが伝説になれば,「判官カムイ」みたいになる。 アイヌとは,こういう存在──北海道に渡ってくる者を吸収する存在──である。 渡来人は,アイヌに同化して,アイヌになる。 アイヌに同化せねばならないのは,北海道が<辺境>だからである。 <辺境>は,<辺境>の流儀を以て生きられる。 そして北海道の場合,アイヌがその流儀になるというわけである。 農業は叶わない。 開墾は生やさしいことではないし,たとえ耕起に及んでも,畑は様々な動植物に荒らされることになり,まともな収獲には至らない。 稲作なんかは,寒冷気候のため,はなから論外。 江戸時代の藩は民からの租税 (農民からは年貢) で財政を賄うわけだが,蝦夷の松前藩は商社みたいなものであって,蝦夷特産物交易関連の収入で財政を賄う。 蝦夷特産物を産むのは,アイヌである。 そこで,松前藩のアイヌに対するスタンスは,「懐柔しつつも不可侵」。 蝦夷特産物を自分から壊すようなことは,断じてするものではない。 さらに,蝦夷特産物を損なうような外からの進出を警戒し,鎖国体制をとる。 松前藩にとってアイヌは,<そのままにしておくもの>である。 中央政権による北海道 (蝦夷) の位置づけも, <辺境>であった。 しかしいまの "アイヌ学者" は,つぎを立場にしている:
彼らは,「解放」イデオロギーをお里にしている者たちだからである。 彼らは,自分たちのイデオロギーのために,「アイヌ」を利用する。 「アイヌ」を,自分たちのイデオロギーに回収しようとする。 それが,つぎのアイヌ像である:
「解放」イデオロギーは 1970年前後がピークになる。 アイヌはつぎのように語らねばならないものになり,そしていまに至る:
イデオロギーは,こんなふうに歴史を改竄する。 和人は,ある時やって来たというものでは 繰り返すが,アイヌは北海道に渡ってくる者を吸収する存在である。 アイヌはどの世代も,和人が既知の存在になる。 そもそもアイヌも遡れば,渡来人である。 |