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串原正峯 (1793), pp.500,501
一躰湯浴する事なければむさくろしといえとも、中には生れ付により奇麗なるもあり。
髪の毛はつむりの眞中にて左右へ毛を分け、禿髪にふり亂し、左右後へ垂かけ、襟の所にてふっつりと剪(り)、髪へ油も付ず、襟のまわりおはマキリを以て剃上げ、剃たる所は髪をたれさげて居る故不レ見。
髪剃はなき故、マキリを以て剃るに、マキリは田舎打の至て下品なる小刀にて、刄鐵も少く、價も壹本にて拾八文、貳拾文位の下直なるものなれども、蝦夷の遣ふに剃刄のことく能きるゝなり。
たまさかには髪を水にて洗ひ、櫛の刄も入るゝ事なり。
櫛も手作りの櫛にて、目甚だあらく、不格好なるものなり。
耳にはニンカリとて、交易に此方より渡す耳環を懸る。
是は錫または眞鍮などにて拵たる耳鐶なり。
錫にて拵たるをヤゝカニと云。
下品なる耳かねなり。
先のぐる/\巻たる所にはびいどろの玉を狹み、其外餝りを仕たる耳かねもあり。
唐太より来る。即マンチウより唐太へわたる
銀の耳鐶をかけて居るもあり。
又レツツンカニとて、是も錫、眞鍮、銀などにて拵たる輸を咽へ廻し、又むねへは珠數の如く日本細工のびいどろの玉、寛永通寶の銭、大小の鍔など糸にて通し首へ懸る。
尤其中には唐太渡の玉もあり。
又口の周りと手首より臂のあたりへかけ入墨をなす。
是をヌヱと云。
其入墨の模様種々ありて一様ならず。
又左右の手首へも環をかけ、着物はアツシにて拵たるモテルといふもの、是は底のなき袋の如くなる物を臍より下へ着し、其上へアツシのチミプを着するなり。
チミプといふは着物といふ事にて手羽アツシの事なり。
メノコの着するアツシのチミプは無地多し。
縫模様のあるも中には着したるもあり。
男夷の着する手羽アツシには紺木綿を色々の形に切抜て是を縫付るなり。
縫付手羽アツシのチミプの圖も後に出す
帯はしめず。
草履もはかず。
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引用文献
- 串原正峯 (1793) :『夷諺俗話』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.485-520.
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