Up 装備 作成: 2018-12-23
更新: 2018-12-23


      高倉新一郎 (1974 ), pp.127-130
    毛皮の袖無しを着、(すね)には脚絆をつけ、頭巾をかぶり、足には鮭皮のケリを着けた。
    その上雪の深い所などではカンジキをはいた。
    カンジキは桑・いたやなどを細く削り、輪にして皮緒をつけたものであった。
    腰には山刀・小刀などを下げ、野宿に必要な品々のうち急場に必要のないものはキナムシロ製のかばんに入れ、食料として干し鮭などを夜営用のキナムシロ等と共に負い縄でしばって頭にかけて背負い、弓・たばこ入れを手に持った。
    負い縄はアイヌ独特のもので、二メートル前後のしな皮製の綱の中央部を広くし、木綿糸などでかがって柔らかくし、両端で荷をしばって、荷を背に負い、この綱を額にあてるのであった。
    これはアイヌの運搬法で、どんな重い荷物、たとえば水をみたした樽などもこれで運んだ。
    ために老婆などは頭の骨の変形したものがあったという。
    むしろ・かぱんはキナムシロで札入れのように作ったもので、皮製のものもあった。
    なお入れ物としてはそのほかに小出しのようなものがあり、穀物などを入れ、手にさげたり、肩にかけたりした。
    なお胆振・日高地方では、先に枝のついた、長さ一・五メートル、直径三〜四センチメートルの山杖をもち、杖にすると共に小休止の時は枝に荷縄をひっかけて休み、また野獣にあった時は枝を支えとして小刀などをつけて槍にしたり、山の斜面を下る時にこれにまたがって制動したり、重い物を運ぶときに担い棒になったり、きわめて便利に使われた。
     ‥‥
    旅装として特別のものはなかったが、夏旅行をする場合ヌカガと呼ぶ小さな昆虫が雲霞のように寄せて来て、目といわず鼻といわず、衣類の中まで入ってくる。
    これを防ぐために肌を白色の肌着でおおい、面紗をつけなければならなかった。


    つぎは,時代が降って明治30年代頃の話。
      砂沢クラ (1983), p.13
    夏の山猟は、七月の初めから八月いっぱいまで、‥‥ 山に寝泊まりし、カワウソを捕り、行き会えばムジナ、クマ、シカなどのけものもとります。
    山へ持って行くのは、
      米一斗(約一五キロ)と塩、みそ。
      米や肉を炊いたり、オハウ(汁)を作るアカガネのなべ、マッチ。
      着替えの着物、丹前、毛布。
      魚を取るマレッ(ヤス) の金具と
      カワウソを捕るトラバサミを二、三丁、
    鉄砲のタマも持って行かなくてはなりません。
    こうした持ち物全部をシケニ(背負い子)にくくりつけ、キムンタラと呼ぶ山猟用の丈夫な綱で、額で支えるような格好で背負います。
    肩ではなく額で荷を負うと、頭をひと振りすると荷を捨てて身軽になれるので、素早い行動が必要な山猟では、とても便利なのです。
    手には、キムンクワという上の部分が二またになった山歩き用の長いつえを必ず持ちます。
    地面に当たる部分は削ってとがらしておき、休む時には地面に突き刺して鉄砲や荷をかけたり、クマに出会うなど危険な目に遭った時には武器にもします。



    引用文献
    • 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
    • 砂沢クラ (1983) :『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983