Up 一人称 作成: 2017-01-11
更新: 2019-01-15


      高倉新一郎 (1974 ), p.260
    ‥‥ 神のより代すわなち巫者の口を通じて語られる一人称の形をとり、荘重な韻をふくみ、短い節ごとに神の叫び声が入り、いかにも神自体が語っているかのように語られた最後に「‥‥と〇〇 (神の名) がいった」という形式で語られる ‥‥

      久保寺逸彦 (1956), p.119
    神話の叙述は、
    雅語をもって、「我何とせり」というふうに、第一人称叙述をしていき、
    結末は、日常語 (口語) をもって、
      「‥‥‥と何神が自ら物語った。
       sekor okaipe    kamui isoitak ruwe-ne;
                 kamui yaieyukar.」
    とか、
      「だから、これらの人間はそうせよ。
       tane oka ainu utar, neno iki yan.」
    とか、いうような言葉つきで終わることが多い。

      同上, pp.119,120
    英雄詞曲 yukar も同じく、雅語を用いるが、第一人称の形が異なる。
    日高・沙流で私の採集したものは、ほとんど、英雄詞曲と同一の人称法をとっているが、これは、後世の混同であって、幌別・近文・美幌・芽室あるいは樺太等の神謡のように、詞曲とは違った第一人称形を用いるのが古格であろう。
    知里氏は、神謡と英雄詞曲の人称法について、
     「第一人称を、神話では
       chi〔われが、われらが、われの、われらの〕
       as〔向上〕
       un〔われを、われらを〕
      等で表わすのに対して、英雄詞曲では
       a〔われが、われらが、われの、われらの〕
       an〔向上〕
       i〔われを、われらを〕
      等であらわす」
    といわれ、次の例をあげて、神謡と英雄詞曲との形を対照されている。
    (1) 神謡
        amset kashi,
    chi-e-horari,
    kepushpe-nuye,
    shirka-nuye,
    chi-ko-kip-shir-echiu,
    neampe patek,
    monraike ne,
    chi-ki kane,
    okai-ash.
      高床の上、
    我そこに坐り、
    鞘彫り、
    鞘刻み、
    我それに没頭し、
    それのみを、
    仕事に、
    我なしつつ、
    我暮らせり。

    (2) 英雄詞曲
        amset kashi,
    a-e-horari,
    kepushpe-nuye,
    shirka-nuye,
    a-ko-kip-shir-echiu,
    neampe patek,
    monraike ne,
    a-ki kane,
    okai-an.
      (同上)
     (「アイ芦の神謡」参照)


    引用文献
    • 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
    • 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
      • 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977