Up 古文書に現れる「蝦夷」 作成: 2016-04-15
更新: 2020-02-03



    以下は,高倉新一郎編「北海道文献年表」(『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, pp.815-82) に,その他を追加:

     659 『日本書紀』斉明天皇五年 十月卅日
     718 『扶桑略記』元正天皇養老二年八月之条
     720 『続日本紀』養老四年 正月丙子【廿三】
     737 『続日本紀』天平九年四月戊午
     780 『続日本紀』第三十六 光仁天皇宝亀十一年甲戌勅語
     798 『類聚三代格』第十九 桓武天皇延暦二十一年六月
    『日本逸史』第十一 同太政官符
     875 『三代実録』巻二十七 清和天皇貞観十七年十一月之条
     878 『三代実録』巻三十三 陽成天皇元慶二年三月之条
     <安倍氏奥州>──蝦夷についての記述がある文書の空白期
    これ以降,「蝦夷」は北海道アイヌを指す。

    1356 「諏訪大明神絵詞」
    1565 ルイス・フロイス、日本の北に蝦夷地のあることを報告す。蝦夷地をヨーロッパに知らせた最初の報告(「耶蘇会士日本通信」)。
    1590 嘱崎慶広京都に上り、豊臣秀吉に謁し、蝦夷島主たることを認められる。
    1599 嶋崎慶広大阪において徳川家康に謁し、蝦夷島の絵図及ぴ系図を奉り、氏を松前と改める。
    1612 イスパニア船長セバスチャン・ヴィスカイノ、北方金銀島探検後報告書を出す(「ヴィスカイノ金銀島探検報告」)。
    1618 耶蘇会士ジェロラモ・デ・アンジェリス、松前に来る。報告書あり。七年再ぴ来る(「北方探検記」)。
    1620 耶蘇会土カルバリヨ・リダッショ、松前に来る。報告書を出す(「北方探検記」)。
    1633 幕府巡見使大河平十郎等来る。
    1643 ド・フリースの率いるオランダ探検船近海調査。北海道およぴ樺太東海岸線を地図に現わす(「カストリクム航海記」)。
    1644 松前氏藩地図及ぴ系図を幕府に泰る。
    1645 「新羅之記録」
    『松前年代記』
    1661 勢州松坂の七郎兵衛船択捉島に漂着(「勢州船北海漂着記」)。
    1667 幕府巡見使佐々木又兵衛等来る。
    1669 東部曾長シャクシャイン、乱を起こし、各地の蝦夷呼応して船十九隻を襲い、二百七十人余の和人を殺す。松前藩、兵を出して鎮定、三カ年を要す。
    この乱により蝦夷地のことが漸く注目せらるるに至る。
    「渋舎利蝦夷蜂起に付出陣書」, 一名『蝦夷蜂起』
    1670 津軽藩隠密を派して東西蝦夷地及ぴ松前の状況を探る。
    『津軽一統誌』(1731)「巻第十」
    『寛文拾年狄蜂起集書』
    1681 幕府巡見使保田甚兵衛等来る。「蝦夷島記」はこの一行の著か。
    1688 水戸快風丸来る。石狩に至って帰る(「快風丸記事」)。
    1700 幕命により全島地図及ぴ郷帖を幕府に奉る(「元禄松前郷帖」)。
    1710 幕府巡見使細井佐治右衛門等来る。一行中の松宮観山『蝦夷談筆記』を著す。
    1712 大隈国船頭次郎右衛門等択捉島に漂着す(『エトロフ島漂着記』)。
    寺島良安「和漢三才図絵」を著す。その十三巻異国人物の部に蝦夷記事、地理の部に蝦夷地図及ぴ産物をのせた。蝦夷のことが刊本に載った最初。
    1715 松前藩、幕府の質問により地理風俗等を答申す(「松前志摩守差出侯書付並追而差出候書付」「蝦夷風俗書上」「蝦夷島物語」ともいう)。
    1716 俳人柏亭醜哉来て「東紀行」を残した。
    1717 幕府巡見使有馬内膳等来る。高城孫四郎「奥州出羽松前巡見覚」あり。また「松前蝦夷記」もこの一行の人の著。
    1718 京都の儒者並河天民( 地理学者並河誠所の弟) 残す。同志と共に蝦夷地開拓を志し、「開彊録」を著してその趣意を述べた人。
    1720 新井白石「蝦夷志」を著す。最初の蝦夷地誌。
    1739 坂倉源次郎「北海随筆」
    『蝦夷商賣(しょうこ)聞書(ききがき)
    1742 「松前年々記」
    1756 二階堂慎庵「風土遊覧集」刊行。
    1758 この年「津軽紀聞」の著あり。前編は松前蝦夷の記事。
    1761 幕府巡見使榊原右兵衛等来る。宮川直之「奥羽並松前日記」(「奥羽松前巡見記」) はこの一行の著。
    勢州今宮丸船頭安五郎船国後島へ漂着。厚岸を経て帰る(寺尾寿伯筆記「蝦夷物語」)。
    1773 源包昭「蝦夷風土記」の著あり。
    1779 ロシア船、わが国との通商を求めて厚岸に来る。松前藩拒んでとれを帰すハ「安永八年魯西亜人応接書」)。
    1780 松前広長編「福山秘府」六十巻成る。
    1781 松前広長「松前志」を著す。
    1783 工藤平助「赤蝦夷風説考」を著す。
    1784 前年立松東作(平秩東蒙) 江差に来て越年。帰って『東遊記』を著す。
    池量平「北藩記略」(蝦夷地の状況を記す)。
    1785 仙台林子平著「三国通覧図説」の稿成る。
    1786 天明五、六両年に亙って蝦夷地を調査した幕府普譜役山口高品、佐藤行信等「蝦夷拾遺」を著す。一行中の最上徳内、択捉島滞在のロシア人に会い、「魯斎亜紀間」を残す。
    1787 仏人ラ・ペルーズ、樺太西海岸を探検す。
    (小林忠雄編訳『ラペルーズ世界周航記』日本近海編, 白水社, 1988)
    1788 幕府巡見使藤沢要人等来る。一行中に地理学者古河古松軒あり、「東遊雑記」を著す。
    菅江真澄松前へ来り寛政四年去る。その間「えみしのさえき」「えぞのてぶり」「ひろめかり」「ちしまのいそ」等の著を残す。
    松前広長「毛人井蛙談」を著す。
    1789 国後、目梨の蝦夷蜂起して和人七十一人を殺し、物を奪う。松前藩藩士新井田孫三郎等を派して鎮定す。
    新井田孫三郎『寛政蝦夷乱取調日記』
    「クナシリ島夷騒動届書記」
    「蝦夷地一件」
    新山質 (葛西因是) 松前に来り「蝦夷風土記」を著す。
    本多利明「蝦夷私考」を著す。
    水戸の人高野子隠、江差村三右衛門に聞き「蝦夷談」を著す。
    1790 高山彦九郎松前に来る。
    松前落、藩士高橋寛光を樺太に遺り、調査せしむ(「瓦刺布土雑記」)。
    松前藩士蠣崎広年(波響) 「夷酋列像」を描き松前広長これが伝を作る。
    最上徳内「蝦夷草紙」『蝦夷国風俗人情之沙汰』を著す。
    岡田小磯「おくのあら海」
    1791 幕府普譜役最上徳内等、厚岸、霧多布等で御救交易を試む。「東蝦夷道中記」の著あり。
    松前藩士松前平角等四名樺太を調査す(「唐太見分書」)。
    1792 幕府普譜役最上徳内等宗谷、石狩に御救交易を試む。一行中串原正峯『夷諺俗語』を著す。
    1793 前年、わが国の漂流民を送って根室に来航越年したロシア使節アダム・ラックスマンを松前に引見し、漂流民を受取り、通商の事は諭して帰国せしむ。「蝦夷地初発記」「異国亜魯斉亜人来朝の事」「神昌丸漂民記」「御用番様松前家より差出候御書付写」加藤肩吾「魯西亜実記」
    関襲子敬「蝦夷風土記」の著あり。
    常陸の武石民蔵、木村謙次松前に来り状況を見る。その日記を「北行目録」という。
    幕吏大橋並八郎ロシア船来航の後を巡視す。「奥の松加勢」の著あり。
    1795 本多利明「北辺禁秘録」を著す。
    1796 前年松前藩に聘せられて来た大原左金吾、江戸に帰って「地北寓談」「北地危言」を著す。
    英人ブロフトンの指揮する探検船虻固に来り薪水をとる。
    1797 英人ブロフトン再び絵鞆(えとも)に来る。
    松前藩士高橋壮四郎等「松前地並東西蝦夷地明細記」を完成。
    1798 幕府渡辺久蔵等を蝦夷地に派遣し調査せしむ( 武藤勘蔵『蝦夷日記』「蝦夷巡行記」)。
    幕吏近藤重蔵等択捉島に渡る(木村謙次<下野源助>「酔古日札」)。
    幕吏中村小市郎「松前蝦夷地海辺盛衰之儀奉申上候書付」
    幕吏田草川伝次郎小者善助談「蝦夷物語」
    1799 幕府東蝦夷地仮上地、蝦夷地取締御用掛をおいて直轄する。
    谷元旦「蝦夷蓋開日記」
    村上三郎右衛門「蝦夷地記行」
    村上島之丞「蝦夷島奇観」
    最上徳内「蝦夷草紙後篇」
    遠山金四郎景晋「未曾有記 (おくの日記)」
    堀田仁助「蝦夷地開発記」(鈴木周助「アツケシ出張日記」)
    松前広長「松前年歴捷径」
    『蝦夷土産』
    1800 「択捉島開発」
    伊能忠敬「啓行目録」
    吉田直八「蝦夷道中記」
    曾槃土攷「蝦夷草木志料」
    1801 東蝦夷地永久土地、箱館奉行を置いて治めさせる。
    磯谷則吉「蝦夷道中記」
    福居芳麿 (勝知文)「東夷周覧」
    福居芳麿「蝦夷の島ふみ」
    中村小市郎・高橋次太夫「唐太島巡視」
    中村小市郎「唐太雑記」
    本多利明「渡海日記」
    馬場正通「北征日記」
    沼田郡相田村万蔵談「蝦夷島尋問記」
    「恵登呂府志」
    1802 「秋田伊三助・塩尻四郎左衛門談蝦夷日記」
    1804 ロシア使節レザノフが通商を求めて長崎に来たが、幕府はこれを拒否し、翌年日本海岸を通って帰る (「奉使日本紀行」)。
    近藤重蔵「辺要分界図考」成る。
    蝦夷地に三官寺を建つ(「国泰寺日鑑記」) 。
    上原熊次郎・阿部長三郎蝦夷方言藻汐草」刊行。
    1806 遠山金四郎・村垣左太夫「西蝦夷日記」
    東□元稹『東海参譚』
    山崎半蔵「松前下蝦夷地紀行」
    貴田惟邦「熱多羅払談」
    1807 この年、幕府は松前氏を転封させ、西蝦夷地をも直轄に移し、箱館奉行を松前奉行とし、これを管轄させた。
    春、前年秋樺太南海岸にロシア船が来冠し、家を焼き物を奪い番人を虜にして去った事件が松前にもたらされ、続いて今春同じ船が択捉島を襲撃し、守備兵は敗走した事件が報ぜられた。幕府は急速兵を派して辺境を守備させ、若年寄堀田正敦等を派してこれを督せしめた。
    羽太正養「休明光記」
    田草川伝次郎「西蝦夷地日記」
    「北辺紀聞」
    伊藤見達「北地日記」
    新楽閑叟「北槎小録」
    堀田正敦「松前紀行」
    渋江きんまさ「蝦夷開闢」
    白石信廉・塩隆好「奥北地理分見略記」
    館野瑞元「蝦夷紀行」
    秋葉支右衛門・奥谷新五郎「北遊記」
    1808 幕府奥羽各藩に命じ、蝦夷の守備を厳重にし、かつ松田伝十郎、間宮林蔵をして樺太の国境を極めしめる。
    松田伝十郎間宮林蔵「両人カラフト見分申上書」
    「西蝦夷地高島日記」
    北原光裕「蝦夷道中日記」「会津藩唐太出陣絵巻」
    高津泰「終北録」
    児山紀成『蝦夷日記』
    平清澄「蝦夷月多六福紀行」
    会津藩士堀長寧「死出の土産」
    村上島之丞「東蝦夷地名考」
    最上徳内『渡島筆記』
    1809 荒井保恵「東行漫筆」
    「東蝦夷地各場所大概書」
    間宮林蔵『東韃地方紀行』
    高橋景保「北夷考証」
    ニコラス・ウイッセン・馬場貞由訳「東北韃靼諸国図誌野作雑記訳説」
    山崎半蔵「毛夷東環記」衛刀魯府(えとろふ)誌」
    1810 クルーゼンシュテルン, "Voyage Round the World, in the Years 1803, 1804, 1805, & 1806"
    1811 ロシア士官ゴロワイン千島沿岸を測量しつつ国後島に至り薪水を求む。守備兵士あざむいてゴロウイン以下七名を捕え、松前に幽囚す(「日本幽囚実記」)。
    平田篤胤「千島白浪」
    山田聯「北裔備攷」
    1812 中川五郎次「五郎次申上」(「五郎次事蹟」
    1813 ゴロウイン以下を箱館でロシア使節に渡す(「遭厄日本紀事」)。
    1816 「蝦夷国私記」(「糺明録」)
    「陸奥日記」
    1822 幕府蝦夷地直轄を止め、松前蝦夷地をあげて松前氏に帰す。
    松田伝十郎『北夷談』成る。
    1825 ゴロウイン著・高橋景保訳「遭厄日本紀事」完訳。
    1828 工藤小伝次禰毛呂(ねもろ)年中行事」
    久留米藩士井上収「北遊録」
    1830 石坂武兵衛談・石坂省筆記「東奥辺陬遺事」
    1832 西門蘭渓「東夷物産説」
    1833 水戸藩主徳川斉昭、蝦夷地を賜り警備せんことを幕府に乞い、「北方未来考」を著す。
    高田屋、密貿易の嫌疑により没落 (「松前秘誌」) 。
    1838 幕府巡見使黒田五左衛門等来る。
    水戸那加港大内清右衛門蝦夷地を調査す。藩儒国友善庵、その聞書「北陲対問」(「蝦夷情実」) を作る。
    儒者山田三川松前藩に仕う。「示後胎謀録」の著あり。
    1842 長門代官布施虎之助、海保海幸翁にきき、『唐太話』を編む。
    1845 松浦武四郎松前に来る (「蝦夷日誌」)。
    1846 松浦武四郎西蝦夷地樺太を旅行す(「再航蝦夷日誌」) 。
    頼三樹三郎江差に越年す(「一日百印百詩」) 。
    1848 箱館の学者淡斎如水「松前方言考」を著す。
    1849 幕府目付大久保彦左衛門松前に来る。
    松浦武四郎千島に渡り「三航蝦夷日誌」を著す。
    1853 一隊のロシア兵、樺太久春古丹(くしゅんこたん)に上陸、寨を築く。
    ロシア使節プーチャーチン長崎に来り開国を迫る。
    アメリカ使節ベリー浦賀に来る。
    林□編「通航一覧」成る。
    仙台藩士小野寺鳳谷「北遊日箋」「蝦夷奇観所録」
    「斗北山人物語」
    1854 日米和親条約締結の結果、箱館を開くことになり、箱館附近を松前より上知せしめ、箱館奉行を置いて管轄せしむ。
    樺太境界問題解決のため、幕吏堀織部、村垣与三郎等棒太を視察す。
    「米国船箱館渡来一件留」
    「魯船入港記」
    「亜墨利加一条写」
    鈴木善教「蝦夷旧聞」
    前田夏蔭「蝦夷東西考証」
    村垣範正「村垣淡路守公務日記」
    島田熊次郎「天辺飛鴻」
    「蝦夷日記」
    横井豊山「探蝦録」
    山県璣「北陲日誌」「哈喇咈土略志」「蝦夷物産志」
    「箱館御収納廉分帳」
    結城粲「蝦夷品彙訳言」刊行。
    上原熊次郎「蝦夷語箋」刊行。
    1855 「東蝦夷地場所請より申上」
    「西蝦夷地場所請より申上」
    平尾魯僊「松前紀行」「洋夷茗談」「箱館夷人談」
    間宮倫宗述・秦貞廉編「北蝦夷図説」刊行。
    小野寺鳳谷「松前蝦夷道中細見記」刊行。
    松浦武四郎「於幾能以志」「後方羊諦おろし」刊行。
    1856 松前藩領を知内、乙部の間に限り、蝦夷全地を再ぴ幕府直轄に移し、箱館奉行をして管理せしむ。
    松浦武四郎「東西蝦夷場所境目取調書」
    佐倉藩士窪田子蔵『協和私役』
    小野好俊「エトロフ道中記」
    村田宗吉「盛岡よりエトロフ迄蝦夷地道中記」
    阿部喜任著・松浦武四郎校「蝦夷行程記」刊行。
    松浦武四郎「箱館往来」「蝦夷葉那誌」刊行。
    1857 越後長岡藩士森春成・高井英一「罕有日記」
    上総関宿藩士成石修「東徼私筆」
    越後村上藩士鳥井存九郎「北溟紀行」
    福山藩士関藤藤蔭 (石川和助)「観国録」
    島団右衛門 (義勇(よしたけ)) 「入北記」
    玉虫左太夫「入北記」
    平山謙三郎「唐太久春古丹迄道中記」
    菅野潔「北遊乗」
    手島季隆「北征漫録」「探箱録」
    松浦武四郎「武四郎回浦日記」「丁巳東西蝦夷山川地理取調日記」
    淡斎如水「箱館夜話草」
    庵原菡斎述「蝦夷地土産」
    松浦武四郎「まわるべし」刊行。
    1858 後藤蔵吉「蝦夷日記」
    佐藤広右衛門「開島北征録」
    松浦武四郎「壷の石」刊行。
    1859 松本吉兵衛「蝦夷地旅行日記」
    「仙台藩士白老迄道中手控帳」
    「安政年間笊網騒動顛末」
    目賀田守蔭「延叙歴検真図」
    松浦武四郎「燼心余赤」「蝦夷訓蒙図会」「蝦夷名産図会」
    1860 蝦夷地を奥羽各藩に分領せしめ、各受持地区の警備を固めさせる。
    前回夏蔭・目賀田守蔭共編「千島志料」(「蝦夷志料」)
    松浦武四郎『近世蝦夷人物誌』
    鈴木茶渓「東蝦日録」
    会津港土「蝦夷道中日記」
    鈴木茶渓「唐太日記」刊行。
    松浦武四郎「石狩日誌」「夕張日誌」「北蝦夷余志」刊行。
    1861 大内余庵「東蝦夷夜話」刊行。
    松浦武四郎「十勝日誌」刊行。
    1862) 1863 「蝦夷地御開拓諸御書付諸伺書類」
    今泉宣徳「蝦夷客中日記」
    松前徳広「蝦夷島奇観補註」
    松浦武四郎「天塩日誌」「夕張日誌」「納紗布日誌」「知床日誌」刊行。
    1864 松浦武四郎「箱館往来」「蝦夷土産双六」「箱館道中双六」「西蝦夷日誌」刊行。
    1865 樺太在住岡本文平、足軽西村伝九郎と共に樺太を一周す。
    西村伝九郎「樺太巡回日記」
    松浦武四郎「東蝦夷日誌」刊行。
    1867 岡本文平「北蝦夷新志」刊行。
    1868 新政府、箱館裁判所( 間もなく箱館府となる) を置き、箱館奉行所より政務を引継ぐ。
    十月榎本武揚等の率いる幕府脱走軍来襲、箱館府知事、難を青森にさく。
    「穂足内本陣仕法替留」
    「穂足内騒立一件書類」
    下国東七郎「実歴史」
    下国季功「蝦夷錦血潮之曙」
    1869 五月幕府脱走軍降伏。
    七月開拓使を置き、蝦夷地を北海道と改め、その開拓に当ることとなる。札幌を開く。
    岩橋正智「函館戦争日記」
    石川忠恕「説夢録」
    喰代和三郎一年の夢 蝦夷土産」
    小杉雅之進「麦叢録」「雨窓紀聞」
    新井白石著・松浦武四郎校「蝦夷志」刊行。
    1870 山田民弥「恵曾谷日記」
    東久世通禧「目録」
    高見沢権之丞「日記」
    島義勇「北行詩」
    宮島幹「北行日記」
    大槻文彦「北海道風土記」
    豊田売「北島志」刊行。
    松浦武四郎「蝦夷年代記」刊行。
    「開拓使日誌」刊行。
    1871 開拓使本庁を札幌に移す。開拓使十年計画なる。
    柳猶悦著「春日紀行」
    肥塚貴正「石狩国上川見聞奇談」
    岡本監輔「窮北日誌」「北門急務」刊行。
    1872 開拓使「地所規則」を発布,北海道全土の土地に所有権を確定。アイヌの漁猟採集生活が,制度の上からも不可能になる。(アイヌの終焉)
    上原和兵衛・寺島新助「陸羽紀行」
    アンチツセル「気候説」刊行。
    1874 林頭三「北海紀行」刊行。
    開拓使編「北海道地誌要領」刊行。
    1875 久里留樺太交換条約締結。
    福士成豊「東察加紀事略」刊行。
    佐藤秀頭「千嶋紀行」刊行。
    ポロンスキー著・在露日本公使館員訳「千島誌」
    松本十郎「北見州経験誌」
    堀三義「北役日誌」
    1876 天皇東北巡行の途次函館行幸。
    札幌農学校開校、クラーク教頭来道。
    「東巡録」
    近藤芳樹「十符の菅薦」
    「大臣参議巡見日誌」(伊藤・山県・寺島)
    長谷部辰連・時任為基明治九年 千島三郡取調書』
    松本十郎『石狩十勝両河記行』
    1877 新田千里著「松前家記」
    「開拓使布令録」刊行。
    ライマン「北海道地質測量報文」「北海道地質総論」刊行。
    デイ「北海道三角測量報文」刊行。
    ホルト「豊平橋報文」刊行。
    英国人ジョン・パチェラー箱館に来る。
    1880 Bird, Isabella, Unbeaten Tracks in Japan"
    1881 Siebold, Heinrich, Ethnologische Studien über die Aino auf der Insel"
    1891 永田 方正『北海道蝦夷語地名解』
    1892 Batchelor, John, The Ainu of Japan"
    1893 Landor, Savage, Alone with the hairy Ainu"
    1901 河野常吉「北海道植民状况報文」