Up 4月30日 作成: 2024-12-09
更新: 2024-12-09




      『菅江真澄全集 第2巻』(未来社, 1971). pp.33,34
    木の根、岩つらをよぢて山のなから斗にいたれば、やゝ木のめはる梢におしへだてられて、紅のうす花さくらの盛なるが、たぐひなうおもしろければ、しばしとて見たゝずむを、とくいきね、かくては日もくれなん、雨もふりこんと、しりなるほうしにいそがれて、
        行やらで こゝにくれなぱ 苺(こけ)むしろ 
           しきて太山の 花のしたふし



    みちのかたはらなりける木の根を、斧のあたるにまかせてつくりなせるぼさち(菩薩)に、きぬうちきせ手向たるも、おかしうたふとく、花も咲かゝりたるに、
        ふり来なば ぬれなんもうし さくら花 
           あすのさつきの 雨もよのそら
    神のいはくらもやゝちかからん、いくばくかあらんそびへたちて、のぼるべうもあらぬ巌のつらに、ふたひろあまりのくろがねの、つかりをかけて、これをちからにたぐりのぼれば、いはやどのうつむろに堂をつくりかしみけたり。 こは太田権現のおましませり。



    太田命をやあがめまつるならんとおもへば、於多てふ浦の名なれど、よこなまりて太田とぞいふなる。
    ヲタは砂といふ詞にして、砂ざきなどのありけるにや。
    おく蝦夷国には砂路沢(ヲタルナヰ)(小樽内)といふコタンもありけりと、人のいふなる。