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『菅江真澄全集 第2巻』(未来社, 1971). pp.33,34
木の根、岩つらをよぢて山のなから斗にいたれば、やゝ木のめはる梢におしへだてられて、紅のうす花さくらの盛なるが、たぐひなうおもしろければ、しばしとて見たゝずむを、とくいきね、かくては日もくれなん、雨もふりこんと、しりなるほうしにいそがれて、
行やらで こゝにくれなぱ 苺(こけ)むしろ
しきて太山の 花のしたふし
みちのかたはらなりける木の根を、斧のあたるにまかせてつくりなせるぼさち(菩薩)に、きぬうちきせ手向たるも、おかしうたふとく、花も咲かゝりたるに、
ふり来なば ぬれなんもうし さくら花
あすのさつきの 雨もよのそら
神のいはくらもやゝちかからん、いくばくかあらんそびへたちて、のぼるべうもあらぬ巌のつらに、ふたひろあまりのくろがねの、つかりをかけて、これをちからにたぐりのぼれば、いはやどのうつむろに堂をつくりかしみけたり。
こは太田権現のおましませり。
太田命をやあがめまつるならんとおもへば、於多てふ浦の名なれど、よこなまりて太田とぞいふなる。
ヲタは砂といふ詞にして、砂ざきなどのありけるにや。
おく蝦夷国には砂路沢(小樽内)といふコタンもありけりと、人のいふなる。
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