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『菅江真澄全集 第2巻』(未来社, 1971). p.35
水くみ帰る女に行末をとへば、ねもごろにをしへ、しばし入りてなど、ヌべ(おおしゅろそう)てふ草の根をアヰノにならひしとて、火にくゆらせてすゝむ。
‥‥‥
保呂(幌)島、曾以(添)泊、不毛地(上古丹)にいたり、
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天註──和人ウエコタンといひ蝦夷人ウェンコタンといふ。
なべて、よからぬところをさしていふ〕
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無水といふ崎の、巌のこゝらたちたる処をたどるたどる、こゝより宇多づたひにゆけと、浦人のみちをしへたり。
宇多とは、なべて、崎より磯つづきたるをもはらいひて、奥の海のところどころに、いと多くぞありける。
小宇多、阿登呂志をへて久度布(久遠)になりて、運上家のぬし厚谷、下国などいふ人々とかたらひて宿る。
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