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『菅江真澄全集 第2巻』(未来社, 1971). pp.35-37
二日
雨ふり風さへ吹ぱ、いでたゝずかたらふほどに、
こゝなるコタンのアヰノ婦ども、木皮帒ポてふものに、
牛嬭菜かづら(いけま)、
象山貝母(おおうぱゆり)、
篠笋(ささのたけのこ)、
独活(うど)、
似白笈(おおしゅろそう)、
かゝる草の根どもを、いたく採り入ておひ来けり。
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天註──象山貝母を、みちのおくにてツバユリ、ツンバユリ、オホバユリ、ヲバユリ、ウバユリ、ウバイロ。
夷言にルレツフとぞ〕
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ふたりのメノコの名をウベレコ、シロシロ、
又来けるオツカイ(男)ふたりをカンナグ、シキシヤといへるが、ゐならぴて、男は濁酒濁酒といひもて、運上屋なる筆者が前に、
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天註──カンビは、筆をも、紙をも、かいたるものをも、ものかく人をもいへり〕
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カモカモとて弦桶ゃうのものさしいだして酒こひはたり、提にうつし、ふたりうちむかひ居て、盞は台ながら左に把り、のせたる鬚上を右にとり,もろもろの神鬼をとなへつつ、かのイクハシウのうれして、そのみき露斗、いく度もこぼしこぼし捧ることひさしくて、鬚おしわけ、こゝろよげにのみて、此ひとつきのにごれる酒を、価なき宝にも、あにまさらめやとおもふならし、ゆめ、さかなもなう、さしかはして時うづりぬ。
あるじシキシヤにむかひ,ことかよふわざして、それらがこと葉に、なにくれなにくれとわがとふことをうつしてとひ、
山の桜はいかに咲たりと聞しかば、シキシヤをさきだてて、いそべの山かげにふかくわけ入りて、かれらがものいひきいまねびて、
アヰノヤタ、キモロヲシマケ夕、ニイヤノニ、
ノチケリアンべ、レタルヌウカラ。
アヰノは蝦夷、ヤタは磯、キモロは山、ヲシマケタは物の陰、ニイヤは桜、ニは木をいひ、ノチケは盛りを、リアンベは近き磯の浪、レタルは白きをいび、ヌウカラは見るといふこゝろもて、しかいはば、
ゑぞのすむ いそ山かげの さくら花
さかりをなみの 寄るとこそ見れ
あたらしや蝦夷がちしまの、と、うべも聞えたりとずんじて山をいづれば、日はくれたり。
笹の丸屋のうちに、ことさやぐは、れいのアヰノの音曲ならんと窓よりさしのぞけば、いと、ませばき屋のなかに酒の器どもならべおき、ひたのみにのみて、とよのあかりをなんしたりける。
いかがしたりけん、ものあらがひをしていかりたち、チヤウカヰ、イチヤウカヰ (吾等足下) と、きいしらぬいさかひの声いやまさりて、すまひのごとく頭をおさへ、耳環をつかみ、耳たびもちぎれ、カモカモもうちやり、外器の酒もこぼれたり。
よろこびも いひはらたづも うちさへぎ えぞ言の葉の しられざりけり
かくて運上家に帰る。
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