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『菅江真澄全集 第2巻』(未来社, 1971). pp.55,56
舟人かひをとゞめて、浪しづかなる磯のわだなる処の、にぎめ、名のりそ(ほんだわら)の中より、うみ鼠(あめふらし)といふものを、もろ手にすくひあぐれば、紫のあぶらながれいでて、ふなばたは、血をあやなしたるかと染わたれば、あなきたなとてとり捨て、
こは猿鮑あり、こは、いみじき薬とてもていぬ。
これやいにしへ、もろこし人の、山づいもと、この、さる鰒とものしたるを錦の帒よりとりいでて、鷹の薬とぞせりける。
さることもやあらん、なにのくすりにかととへば、痳病やめる人の、みそしるにしてたうびさぶらへば、すみやかにいゆとぞいふめる。
‥‥‥
コモナヰ(小茂内─乙部町) といふところに日高うついて、泊もとめたり。
かくてくれ行空に、星ひとつのかげさへ見えず、居ならぷ軒だにも見わくべうもあらぬ八重霧のたちこめて、磯べたに人あまたの声して、つゞみとうとううちならし、ふなばたをたゝき、声のかぎり叫ぶは、海参(なまこ)あみひくとて沖にをるふねどものかへさ、こぎまよひなんをよばふ。
このこゑをしるべに、よりくとなん。
かゝらんをりしもアヰノのくににては、あがせし男の舟を、メノコひとり磯辺に立て呼ぶを、ちか隣よりもメノコひとりいで、ふたりいでてよばふに、よびつぎつぎて、うらうらのこゑごゑうちどよみて、二三里も呼つぐことのありけり。
此こゑのいとものがなしう、あはれなり。
これを、ベ◦ウタギといふとなん。
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