|
『菅江真澄集 第5』(秋田叢書刊行会, 1932), pp.536-541
ユウラップ(遊楽部)といへる、いと大なる、深さ、はかりもしらぬ河べたにつきたり。
秋は此水に鮭の多くのぼりくとなん。
はぎいと高きアヰノひとり、さゝやかにうすき舟をトツパネチイツプといひて、柳の一葉の散り浮たるやうなるに棹さし寄て、独リのみのれとて、いくたびにもわたせり。
シャモなどの川長のさすとは、ふりもことに,さばかり広き河の面に露も波だてず、魚などの行ごとに、遠き岸辺に事なうつけぬ。
「丸木舟にのりて
ユウラツフの海岸の大河を渉る」
|
‥‥‥
家(ヤ)は萱をかいつかね葺て、いぶせきやうに外(ト)よりは見ゆれど、さし入ば内の間広く、厨下はあら砂の上に葭簾しきものとして、きよげ也。
かたへには高榻長ク作りて三処に在り、
左をシゲヰシヨセムとて、この床には女房の居ならび、右をハルケヰシヨセムといひて男居れり。
中なるルルケヰシヨセムといふ床榻には、まろうどざねをまふくるの処なればとて、この床に文繍莚とて、きよきあやむしろを、しきあらためて、これにといへば、のぼりぬ。
窓は、いづらも榻ごとの上に明たれば、タ風のおもふまゝに吹入て涼しう、蚤は、居に居て多けれど、床のいと高ければ、さらに飛ものぼらず、シャモの臥房よりも、いとすみやすげ也。
やかのくまに財貨(タカラ)といひて、こがね、しろがねをちりばめたる具ども、匜盤(ミミダラヒ)、
角盥(ツノダラヒ)、
貝桶(カヒオケ) などを、めもあやに積かさね、
外器(ホカヒ) をケマウシントコとて酒を入れり。
〔 |
天註──イチンケとは亀の名なれども、八角なれば亀甲にたぐえていふにやあらん。シントコともシントクともいひて桶の名なり〕
|
この、ほかひちふものは酒祭をせし具の名にして、いにしへの手ぷりの、のこれることぞしられたる。
又大なる丹塗(ニヌリ)の桶に巴を画(カイ)て、酒造桶とて、[酉+央]酒をかみしてける具どももこゝ らとりならべ、ヰタシベのピセヰといひて、おほきやかなる壺蘆(ナリヒサゴ)の如き海獺(トド)の胃てふもの、あるは又大口魚(タラ)のヒセヰなど、みな魚の油を入て梁に掛つらね、ブヰ(えぞりゅうきんか)とて黒く乾たる草の根を編て柱にかけ、隔葱(ぎようじゃにんにく)といふものを刻み、象山貝母(シカカクレ, おおうぱゆり)の根を春て餅粢のごとくにして大なる酒樽に入れ、あるは小檜桶に入れて、あさタの糧とし、鹿のほじし、[魚+布](イルカ)のほじしやくひぬらん。
〔 |
天註──トレツフ、これを俚人はうばゆりちふ事を詑りてうばいろといひ、桃生郡などにては、つんばゆり、妻百合てふことにや、或大葉ゆりなど所どころにことなり。蝦夷人此草をアヨウロといふ、トレツフとは根を制し団丸のごとくなるをいふ也〕
|
ブクシヤの匂ひ、油の匂ひその臭さ、たぐへんものなし。
この家財(タカラ)など置たる方には、[魚+布](イルカ)の頭を夕ンヌシヤパとて、長串に貫て戸の上におし立、タンヌヘラとでおなじ魚の骨、又こと魚の尾鰭をも串にさして、なにくれの器をはじめ木糸とりかけ、あるは、いくらともなう、やなうらにもさしわたせり。
あないに持せたる袋のよね [米]、とうだして炊んとすれば、婦人、ニヤトスに水汲もてきて、「タンワツカヰイワンゲ」といふは,この水してものせよといふにやとて、其水しでかしぎぬ。
主男床立、そびらの壁には、タンネツフといふ、いとながやかなるつるぎたち、あるはエモシポ、シャモシポなどの平太刀、頭巾、鉢巻をもまぜ掛たり。
女房ども魚のなまじしを臠刀してさきくらふに、日もくらぐらになりぬれば「シュンネアレ」といひて、樺皮(カニバ)の火を木の枝にさしはさみで炉のもとにたて、飯吃といひて、粟、稗(ヒアバ)などにブヰ、ブクシヤ、なにくれの草の根入たる䊥にキナボの油をさしまぜて、飯椀ひとつひとつに調羹して盛り分ちぬれば、をのれをのれが吃食筋といひて、ちいさき飯匙(イヒカヒ)のごとく,鶯のやうなるものして,かいなですくひあげ、居ならびこれをなめて,みなふしぬ。
〔 |
天註──粥をチセロフといひ、これをシャモ、あらゆといふ。アラユも近つ蝦夷人の辞ともいふなり〕
|
〔 |
天註──カシユツプは、もろこし人のタンピヤoウにことならず、世俗の散り蓮華といふものに似たり〕
|
〔 |
天註──ハラパシoウは世にいふせつかひにことならず、うぐひすちふもの也〕
|
夜るはすがらに,こなたかなたの睡床を隔て,うちもの語ひ,なにのおかしき事かあらん,セッカよりまろび落ぬべう笑ふことどもあり。
やゝタツの火も消えはつれど、燼火の光あかあかとしたるにうかゞひ見れば、又おき出て、なにならんほちほちとものくふ音の耳にたちて、つゆふしもつかれねば、
小夜なかにものこそおもへ蝦夷のすな草の庵のかりまくらして
かくて、ひましらみたり。
|
|
|