Up 6月3日 作成: 2024-11-30
更新: 2024-12-01







      『菅江真澄集 第5』(秋田叢書刊行会, 1932), pp.536-541
    ユウラップ(遊楽部)といへる、いと大なる、深さ、はかりもしらぬ河べたにつきたり。
    秋は此水に鮭の多くのぼりくとなん。
    はぎいと高きアヰノひとり、さゝやかにうすき舟をトツパネチイツプといひて、柳の一葉の散り浮たるやうなるに棹さし寄て、独のみのれとて、いくたびにもわたせり。
    シャモなどの川長のさすとは、ふりもことに,さばかり広き河の面に露も波だてず、魚などの行ごとに、遠き岸辺に事なうつけぬ。
    丸木舟(トノハネチユツフ)にのりて
     ユウラツフの海岸の大河を渉る」


     ‥‥‥
    家(ヤ)は萱をかいつかね葺て、いぶせきやうに外(ト)よりは見ゆれど、さし入ば内の間広く、厨下はあら砂の上に葭簾しきものとして、きよげ也。 かたへには高榻(セッカ)長ク作りて三処に在り、 左をシゲヰシヨセムとて、この(セッカ)には女房(メノコ)の居ならび、右をハルケヰシヨセムといひて男居れり。 中なるルルケヰシヨセムといふ床榻(セッカ)には、まろうどざねをまふくるの処なればとて、この床に文繍莚(シタラペ)とて、きよきあやむしろを、しきあらためて、これにといへば、のぼりぬ。
    窓は、いづらも(セッカ)ごとの上に明たれば、タ風のおもふまゝに吹入て涼しう、蚤は、居に居て多けれど、床のいと高ければ、さらに飛ものぼらず、シャモの臥房よりも、いとすみやすげ也。
    やかのくまに財貨(タカラ)といひて、こがね、しろがねをちりばめたる具ども、匜盤(キシャラバチ)(ミミダラヒ)、 角盥(キラウシバチ)(ツノダラヒ)、 貝桶(イチンケシントコ)(カヒオケ) などを、めもあやに積かさね、 外器(ケマウシ)(ホカヒ) をケマウシントコとて酒を入れり。
     〔 天註──イチンケとは亀の名なれども、八角なれば亀甲にたぐえていふにやあらん。シントコともシントクともいひて桶の名なり〕
    この、ほかひちふものは酒祭をせし具の名にして、いにしへの手ぷりの、のこれることぞしられたる。
    又大なる丹塗(ニヌリ)の桶に巴を画(カイ)て、酒造桶(サケカルシントコ)とて、[酉+央]酒(ヤヤサケ)をかみしてける具どももこゝ らとりならべ、ヰタシベのピセヰといひて、おほきやかなる壺蘆(ナリヒサゴ)の如き海獺(トド)の胃てふもの、あるは又大口魚(エレクテ)(タラ)のヒセヰなど、みな魚の油を入て梁に掛つらね、ブヰ(えぞりゅうきんか)とて黒く乾たる草の根を編て柱にかけ、隔葱(ブクシャ)(ぎようじゃにんにく)といふものを刻み、象山貝母(トレツフ)(シカカクレ, おおうぱゆり)の根を春て餅粢のごとくにして大なる酒樽(シントコ)に入れ、あるは小檜桶(ニヤトス)に入れて、あさタの糧とし、鹿のほじし、[魚+布](タンヌ)(イルカ)のほじしやくひぬらん。
     〔 天註──トレツフ、これを俚人はうばゆりちふ事を詑りてうばいろといひ、桃生郡などにては、つんばゆり、妻百合てふことにや、或大葉ゆりなど所どころにことなり。蝦夷人此草をアヨウロといふ、トレツフとは根を制し団丸のごとくなるをいふ也〕
    ブクシヤの匂ひ、油の匂ひその臭さ、たぐへんものなし。
    この家財(タカラ)など置たる方には、[魚+布](イルカ)の頭を夕ンヌシヤパとて、長串に貫て戸の上におし立、タンヌヘラとでおなじ魚の骨、又こと魚の尾鰭をも串にさして、なにくれの器をはじめ木糸(イナヲ)とりかけ、あるは、いくらともなう、やなうらにもさしわたせり。
    あないに持せたる袋のよね [米]、とうだして炊んとすれば、婦人(メノコ)、ニヤトスに水汲もてきて、「タンワツカヰイワンゲ」といふは,この水してものせよといふにやとて、其水しでかしぎぬ。
    主男(オツカイ)床立(セッカ)、そびらの壁には、タンネツフといふ、いとながやかなるつるぎたち、あるはエモシポ、シャモシポなどの平太刀、頭巾(コジ)鉢巻(マタブシ)をもまぜ掛たり。
    女房(メノコ)ども魚のなまじしを臠刀(エビラ)してさきくらふに、日もくらぐらになりぬれば「シュンネアレ」といひて、樺皮(カニバ)(カニバ)の火を木の枝にさしはさみで炉のもとにたて、飯吃(アマムエベ)といひて、(ムンジロ)(ビワバ)(ヒアバ)などにブヰ、ブクシヤ、なにくれの草の根入たる(チセロフ)にキナボの油をさしまぜて、飯椀(イタンギ)ひとつひとつに調羹(カシユツプ)して盛り分ちぬれば、をのれをのれが吃食筋(バラバシウ)といひて、ちいさき飯匙(イヒカヒ)のごとく,鶯のやうなるものして,かいなですくひあげ、居ならびこれをなめて,みなふしぬ。
     〔 天註──粥をチセロフといひ、これをシャモ、あらゆといふ。アラユも近つ蝦夷人の辞ともいふなり〕
     〔 天註──カシユツプは、もろこし人のタンピヤoウにことならず、世俗の散り蓮華といふものに似たり〕
     〔 天註──ハラパシoウは世にいふせつかひにことならず、うぐひすちふもの也〕
    夜るはすがらに,こなたかなたの睡床(セッカ)を隔て,うちもの語ひ,なにのおかしき事かあらん,セッカよりまろび落ぬべう笑ふことどもあり。
    やゝタツの火も消えはつれど、燼火(アペ)の光あかあかとしたるにうかゞひ見れば、又おき出て、なにならんほちほちとものくふ音の耳にたちて、つゆふしもつかれねば、
       小夜なかにものこそおもへ蝦夷のすな草の庵のかりまくらして
    かくて、ひましらみたり。