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『菅江真澄集 第5』(秋田叢書刊行会, 1932), pp.556-562
舟漕ぐ二人の蝦洟人暑さにたえず、シャモの辞に醼裞衣とて、もろこし織の木緜布をいろいろ衣の如く染さして、又繍したる衣もアツシの衣着たるもみなぬぎやりて、舳□にしりうたげして、けぶり吹やるアヰノの身は、墨ぬり、うるしさしたるばかり黒きむくろに、雪の降たるやうに、おどろのしら髪ふりみだしたり。
舳なるアヰノとしは三十斗ならんか、いとくろく、身にむくむくと毛の生ひかゝり、草のごとく茂れり。
アヰノのメノコども、よき男となべて懸想(し)恋渡るは、みな鬚のいと長やかなるをいふと聞ば、このアヰノを、メノコのしたひつらんと戯ていへば、老長、さなりと。
シャモのイタクの通ふアヰノどもにて、なにくれとかたらふもおかし。
‥‥‥
やがてこゝを搒出れば、巌の姿ことにおもしろく、蝦夷椴(トトロツフ, とどまつ)、あるは蝦夷檜木(エゾマツ)の生ひまじりたてるは、人の作りなせるがごとし。
なべて海の中に立伏る岩どもは、彩たる画(エ)のさませり。
此あたりは、わきで見べきところなり。
舟のアヰノら葛筥のなかより、おほふゝきの葉につゝみたる鱒魚,ブヰなど取出して、ひたにくひて、ニヤトスの水ひたのみにのみカンヂとらで休らふほどに、こゝらの黒魚(いるか)、沖もせに群れ行が行あらそひ、波を離れて五六尺斗も飛あがるを見て、ハナリ撃てんとアリンベ (一本銛) にギテヰ(銛頭)てふものをさし、アヰドスとて細き縄をギテヰに付て、柄もひとつにとりもて、ぬかにこれをさしかざし、たちねらふにおぢて浪のそこにしづみかくろふを見て、あなねたしとて船追ふ。
「波奈離 (ハナリ)
ラスバの二あるをウレンベといひ
一あるをアリンヘといひ
鏃をギテイといひ
石突をヲフケシといひ
柄をヲッフといひ
小綱をアヰドスとしひて
ギテイもヲッフもヲフケシも三に離れとぶはこなり
尖刃は鏃に似たり」
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ヰコといふ高巌に、ヰナヲあまたさしづかねたるあり、これをアヰノら、いとおもきカムヰとて、つねのうたげにも、まづ此ヰコリの神を唱ふといふ。
このあたり近きコタンのアヰノらは、みなかゝる巌をさして齋(いは)ふとなん。
リブンゲツプ (礼文華─豊浦町) の浜はアヰノの館、シャモの番人の家あり。
アヰノの、タoツ笠とて樺皮の笠着て釣し、あるは丸はだかなるも、あまた舟を舫(もや)ひ、あるは、こぎならべたるにちかく搒ぎよれば、貴人とてみな衣とり着けり。
キナボ突得たるに、ふたところまでハナリ立ながらきりあばき、あぶらわた取いだし、その血にまみれたる、ちひろのゑなはの、栲縄のやうに流て波も汐も紅に染ミたるをたぐり、手にからまき,つくりとるべきしゝは,みなエビラしてきりとり、左右の鰭にヰナヲかい削りさし貫き、ハナリの柄の石つきもて海そこにつき入て、舟こぎ散りぬ。
高岸のありて木立茂りぬ。
此奥によき水城(ミツキ)のありて寒泉(シミズ)清しと、カンヂ取るアヰノの、つばらに語せり。
遠きシリペツの岳も、近き内裏の嶽(駒ヶ岳)も雲深くかゝり,臼の嶽(有珠岳)ばかり丹土(マハニ)の色して晴れたり。
ヲフケシベのコタンをへて、へンぺのコタン、フウレナヰのコタンの、アヰノのやかたやかたを見やり行ば、寄木拾ふメノコあまた、遠う、こゝかしこに群れば、れいの途方沙浜ツヰマ、ヲ夕、集人メノコウヰノリ、リリヤンゲ、許多ホロノヲウカヰ、樵木チクニ、採コlエキとうち戯れ、のどやかにアブタ(虻田町)のコタンにつきたり。
このコタンの運上屋の、まひろげに涼しかるべきにやどづく。
蝦夷の栖家は八十斗もありといふが、浜辺、あるは林の中にも見えて、やゝ日もくれはつる空の、くもりもなう、波の千里もしづかに、いとおもしろきゆふべ也。
蝦夷人も月にはとらで弓張の影見てこLろ空にひくらし
ひきものゝ音のやうに近う聞えたるは、なにの音にやとかたぶき聞けど、さらにそれとわいだめなう。
こは、いかなる音なひかといへば、あるじ、シャモは口琵琶といひ、アヰノは是をムクンリといひて、五六寸ばかりの網鍼のごとく、竹にて作りたるものなり。
其竹の中を透したる中竹のはしに糸を付て、女ども口にふくみて、左の手に端を持て、右の手してその糸を曳く。
口の内には何事かいふといへり。
外に出てこれを見れば、女子ども磯に立むれ、月にうかれて、こゝかしこに吹すさむ声の、おもしろさいはんかたなし。
この声のうちに、をのがいはまほしき事をいへば、こと人は、そのいらへをも吹つ。
又人しらずひめかくす事などを、この含箑に互に吹通はすとなん。
更るほど、いと多く浪の声とともにしらべあひて、どよみ聞えたり。
いはゆる胡笳(こか)てふものも、かゝるたぐひにして、はた是を胡砂(こさ)ともいはゞ云てんかし。
蝦夷見てもくもりも波の月きよく吹く口びはの声の涼しさ
ふしぬれどムクンリの音、をやみなう聞えぬ。
「牟久武利又いふ務矩離 凡圖形のごとし
竹を以て作る 長四寸ばかりにして横亘三分にすぎす
風舌に三寸四五分の絲をつけてこれを含て曳鳴し 口の中歌を唄ふ
其聾ことに面白聞えたり
此器の形は網苧のことし シャモの詞に口琵琶という也
亦口琵琶ちふもの津軽に在り鐵を以て鍛ヘ作る
俚人七月鹿頭を戴て角觝の戯のときこれを含て玩ふ
この津軽に在る區地臂王は舊これ蠻[にんべん+夷]の制作にして
むかし蝦夷國よりつたヘて 合浦海濱に流布し
今津刈の稲置四邊の人もはら含鳴することをひたゝし
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