Up 6月7日 作成: 2024-11-30
更新: 2024-12-02







      『菅江真澄集 第5』(秋田叢書刊行会, 1932), pp.556-562
    舟漕ぐ二人の蝦洟人(アヰノ)暑さにたえず、シャモの(イタク)醼裞衣(サカカタビラ)とて、もろこし織の木緜布(センガキ)をいろいろ衣の如く染さして、又繍したる衣もアツシの衣着たるもみなぬぎやりて、舳□(ともへ)にしりうたげして、けぶり吹やるアヰノの身は、墨ぬり、うるしさしたるばかり黒きむくろに、雪の降たるやうに、おどろのしら髪ふりみだしたり。
    舳なるアヰノとしは三十(ばかり)ならんか、いとくろく、身にむくむくと毛の生ひかゝり、草のごとく茂れり。
    アヰノのメノコども、よき男となべて懸想(けそう)(し)恋渡るは、みな(レキ)のいと長やかなるをいふと聞ば、このアヰノを、メノコのしたひつらんと戯ていへば、老長(チヤチヤ)、さなりと。
    シャモのイタクの通ふアヰノどもにて、なにくれとかたらふもおかし。
     ‥‥‥
    やがてこゝを搒出れば、巌の姿ことにおもしろく、蝦夷椴(フツプ)(トトロツフ, とどまつ)、あるは蝦夷檜木(シユング)(エゾマツ)の生ひまじりたてるは、人の作りなせるがごとし。
    なべて海の中に立伏る岩どもは、彩たる画(エ)のさませり。
    此あたりは、わきで見べきところなり。


    舟のアヰノら葛筥(サラネフ)のなかより、おほふゝきの葉につゝみたる鱒魚,ブヰなど取出して、ひたにくひて、ニヤトスの(ワッカ)ひたのみにのみカンヂとらで休らふほどに、こゝらの黒魚(タンヌ)(いるか)、沖もせに群れ行が行あらそひ、波を離れて五六尺(いつさかむさか)斗も飛あがるを見て、ハナリ撃てんとアリンベ (一本銛) にギテヰ(銛頭)てふものをさし、アヰドスとて細き縄をギテヰに付て、(から)もひとつにとりもて、ぬかにこれをさしかざし、たちねらふにおぢて浪のそこにしづみかくろふを見て、あなねたしとて船追ふ。



    「波奈離 (ハナリ)
     ラスバの二あるをウレンベといひ
     一あるをアリンヘといひ
     鏃をギテイといひ
     石突をヲフケシといひ
     柄をヲッフといひ
     小綱をアヰドスとしひて
     ギテイもヲッフもヲフケシも三に離れとぶはこなり
          尖刃は鏃に似たり」


    ヰコといふ高巌に、ヰナヲあまたさしづかねたるあり、これをアヰノら、いとおもきカムヰとて、つねのうたげにも、まづ此ヰコリの神を唱ふといふ。
    このあたり近きコタンのアヰノらは、みなかゝる巌をさして齋(いは)ふとなん。
    リブンゲツプ (礼文華─豊浦町) の浜はアヰノの(チセヰ)、シャモの番人の(やど)あり。
    アヰノの、タoツ笠とて樺皮(カニバ)の笠着て釣し、あるは丸はだかなるも、あまた舟を舫(もや)ひ、あるは、こぎならべたるにちかく搒ぎよれば、貴人(ニシバ)とてみな衣とり着けり。
    キナボ突得たるに、ふたところまでハナリ立ながらきりあばき、あぶらわた取いだし、その血にまみれたる、ちひろのゑなはの、(こう)縄のやうに流て波も汐も紅に染たるをたぐり、手にからまき,つくりとるべきしゝは,みなエビラしてきりとり、左右の(ひれ)にヰナヲかい削りさし貫き、ハナリの(から)の石つきもて海そこにつき入て、舟こぎ散りぬ。
    高岸のありて木立茂りぬ。
    此奥によき水城(チャシ)(ミツキ)のありて寒泉(シミズ)清しと、カンヂ取るアヰノの、つばらに(イタク)せり。
    遠きシリペツの岳も、近き内裏の嶽(駒ヶ岳)も雲深くかゝり,臼の嶽(有珠岳)ばかり丹土(マハニ)の色して晴れたり。
    ヲフケシベのコタンをへて、へンぺのコタン、フウレナヰのコタンの、アヰノのやかたやかたを見やり行ば、寄木拾ふメノコあまた、遠う、こゝかしこに群れば、れいの途方沙浜ツヰマ、ヲ夕、集人メノコウヰノリ、リリヤンゲ、許多ホロノヲウカヰ、樵木チクニ、採コlエキとうち戯れ、のどやかにアブタ(虻田町)のコタンにつきたり。
    このコタンの運上屋の、まひろげに涼しかるべきにやどづく。
    蝦夷の栖家は八十(ばかり)もありといふが、浜辺、あるは林の中にも見えて、やゝ日もくれはつる空の、くもりもなう、波の千里もしづかに、いとおもしろきゆふべ也。
       蝦夷人も月にはとらで弓張の影見てこLろ空にひくらし
    ひきものゝ音のやうに近う聞えたるは、なにの音にやとかたぶき聞けど、さらにそれとわいだめなう。
    こは、いかなる音なひかといへば、あるじ、シャモは口琵琶といひ、アヰノは是をムクンリといひて、五六寸(いつきむき)ばかりの網鍼(あばり)のごとく、竹にて作りたるものなり。
    其竹の中を透したる中竹(した)のはしに糸を付て、(メノコ)ども(バル)にふくみて、左の手に端を持て、右の手してその糸を曳く。
    (バル)の内には何事かいふといへり。
    ()に出てこれを見れば、女子(メノコ)ども磯に立むれ、月にうかれて、こゝかしこに吹すさむ声の、おもしろさいはんかたなし。
    この声のうちに、をのがいはまほしき事をいへば、こと人は、そのいらへをも吹つ。
    又人しらずひめかくす事などを、この含箑(ムクンリ)に互に吹通はすとなん。
    更るほど、いと多く浪の声とともにしらべあひて、どよみ聞えたり。
    いはゆる胡笳(こか)てふものも、かゝるたぐひにして、はた是を胡砂(こさ)ともいはゞ云てんかし。
      蝦夷見てもくもりも波の月きよく吹く口びはの声の涼しさ
    ふしぬれどムクンリの音、をやみなう聞えぬ。



    「牟久武利又いふ務矩離 凡圖形のごとし
     竹を以て作る 長四寸ばかりにして横亘三分にすぎす 
     風舌に三寸四五分の絲をつけてこれを含て曳鳴し 口の中歌を唄ふ
     其聾ことに面白聞えたり 
     此器の形は網苧のことし シャモの詞に口琵琶という也
     亦口琵琶ちふもの津軽に在り鐵を以て鍛ヘ作る
     俚人七月鹿頭を戴て角觝の戯のときこれを含て玩ふ
     この津軽に在る區地臂王(クチヒハ)(モト)これ蠻[にんべん+夷]の制作にして 
     むかし蝦夷國よりつたヘて 合浦海濱に流布し
     今津刈の稲置四邊の人もはら含鳴することをひたゝし