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『菅江真澄集 第5』(秋田叢書刊行会, 1932), pp.562-568.
八日
夜半ばかりの雨、明ても尚零り、ひるのほど、しはしのはれまあればさし出るに、小高きところに鯡の漁のためにシャモの作たる、板布(いたしき)もなき四阿のあるに、うらわかき童女あつまりて、アツシ織る木糸をもて片□(䜌の下に巾)を織り、あるは細帯ちふものぞ織ける。
もとも此コタンのあたりをさして、臼アブタのアツシとてアツシの名どころなれば、かゝるをさなきメノコより、其業をいとなみけるにや。
よきアツシはヲヒヤウといふ木の皮をはぎ糸として、これをアツといふ。
又級(しな)の木の皮を採り是をニベシとて織る。
この糸は、そのヲヒヤウにやや次り。
至て品くだれるはニヰガツプ(はるにれ)とて、大葉柳に似たる木の皮を剥ぎ、たぎり湯に浸してのち流に晒し、日を経て、朽たゞれたるとき割き糸として、カネダヰとて、またぶりのやうなるものに線柱のごとにくり掛、あるは経苧のやうに玉に作りたるもあり。
筬(おさ)はアツシヲシヤといひて、詞も形もいさゝかたがふ斗の具なり。
したそ、うはそをおし分るに、アツシへラとて二尺あまりに、ひろさ二寸斗の板に彫あるをさし貫き、緯を入るにアツシケムとて、法の師の持る三鈷(さんこ)の姿せし梭子に、木糸を曳かけ巻き重ね、纒木てふものは、細木にて隔木を三稜に組たるも、机のごときもあり。
調糸(あやいと)を左右の子に引上て、機ものも無して、端は杙に縛付て腰にからまき、投足しても跏(あぐら)して織りぬ。
クツツも、アンネクツツも、モロリちふ細帯も、アツシをるにことならず。
浜辺に指もてヲタテントとて、もの画く童子あり幼女あり。
童子は刀(まきり)の鞘の彫剋(ほりもの)をまねび、童女は木布、かたびらなどの繍ちふものを手ならふとなん。
木のかげにわかきメノコども、風涼しとて青き唇をうごかして、むつ語りする中に、肘も、くちびるもいとふくらかに腫れあがりたるを、アツシの袖をおほひ隠したり。
これを文身すとて小刀(まきり)もてさき、樺皮(かにば)を焼て霜として摺り入れぬ。
シャモの鉄漿(おはぐろ)するごとく、ハシユせし青色のうすらかになれば、女ども寄つどひ、互にパシユして身をもとろげ、髪をたつなど、つねのことなり。
唇、かひなを月ごとに刺し、血をあやなすゆへにや、血のめぐりたゆたふ病もなう、
男女骨節疼痛し、あるは屈伸しがたきにも、エビラして割き、血を流しぬ。
これを蝦夷の身よりいだす血の、ことうぢなれやのこゝろにひく人あれど、うべならじ。
或傷寒感冒のいとおもげなるをば、鍋に湯をかへらかし、やまふど(病人)を草席てふものもて、むくろを巻縛へ、アツシとりおほひ、鍋の上に木を亘し草をしき、たゝしめてこれを□(火+丞)て愈しぬ。
眼わづらふものは、シキレベニとて黄檗の皮を水にひたして、ひたに洗ひ、あるは、艾蓬(エモキ)の青葉を焙て睚をおさへ、
腹やめば、三椏五葉(とちばにんじん) の根を採来て煎て飲み、
なべてコタンの病を愈すことは、粗工くすしの及べうもあらじ。
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