Up 6月8日 作成: 2024-11-30
更新: 2024-11-30







      『菅江真澄集 第5』(秋田叢書刊行会, 1932), pp.562-568.
    八日
    夜半ばかりの雨、明ても尚零り、ひるのほど、しはしのはれまあればさし出るに、小高きところに(へろき)の漁のためにシャモの作たる、板布(いたしき)もなき四阿のあるに、うらわかき童女(メノコ)あつまりて、アツシ織る木糸()をもて片□(クツツ)(䜌の下に巾)を織り、あるは細帯(アンネクツツ)ちふものぞ織ける。
    もとも此コタンのあたりをさして、臼アブタのアツシとてアツシの名どころなれば、かゝるをさなきメノコより、其業をいとなみけるにや。
    よきアツシはヲヒヤウといふ木の皮をはぎ()として、これをアツといふ。
    又級(しな)の木の皮を採り是をニベシとて織る。
    この()は、そのヲヒヤウにやや(つげ)り。
    至て品くだれるはニヰガツプ(はるにれ)とて、大葉柳に似たる木の皮を剥ぎ、たぎり湯に浸してのち流に晒し、日を経て、朽たゞれたるとき割き()として、カネダヰとて、またぶりのやうなるものに線柱(たたり)のごとにくり掛、あるは経苧(へそ)のやうに玉に作りたるもあり。
    筬(おさ)はアツシヲシヤといひて、詞も形もいさゝかたがふ(ばかり)の具なり。
    したそ、うはそをおし分るに、アツシへラとて二尺(ふたさか)あまりに、ひろさ二寸(ふたき)斗の板に(テント)あるをさし貫き、(ぬき)を入るにアツシケムとて、法の師の持る三鈷(さんこ)の姿せし梭子(かい)に、木糸()を曳かけ巻き重ね、纒木(はたきま)てふものは、細木にて隔木を三稜に組たるも、机のごときもあり。
    調糸(テカオツフ)(あやいと)を左右の子に引上て、機ものも無して、端は(くい)縛付(ゆはい)て腰にからまき、投足しても跏(あぐら)して織りぬ。
    クツツも、アンネクツツも、モロリちふ細帯も、アツシをるにことならず。
    浜辺に指もてヲタテントとて、もの()童子(ヘカチ)あり幼女(カネチ)あり。 童子(ヘカチ)(エビラ)(まきり)の鞘の彫剋(テント)(ほりもの)をまねび、童女(メノコ)木布(アツシ)、かたびらなどの(ウカウカ)ちふものを手ならふとなん。
    木のかげにわかきメノコども、風涼しとて青き唇をうごかして、むつ語りする中に、肘も、くちびるもいとふくらかに腫れあがりたるを、アツシの袖をおほひ隠したり。
    これを文身(パシユ)すとて小刀(エビラ)(まきり)もてさき、樺皮(タツ)(かにば)を焼て(すみ)として摺り入れぬ。
    シャモの鉄漿(おはぐろ)するごとく、ハシユせし青色のうすらかになれば、(メノコ)ども寄つどひ、互にパシユして身をもとろげ、髪をたつなど、つねのことなり。
    唇、かひなを月ごとに刺し、血をあやなすゆへにや、血のめぐりたゆたふ(シユエ)もなう、
    男女骨節疼痛し、あるは屈伸しがたきにも、エビラして割き、血を流しぬ。
    これを蝦夷(ヱみす)の身よりいだす血の、ことうぢなれやのこゝろにひく人あれど、うべならじ。
    傷寒感冒(ヤヰノフミムエン)のいとおもげなるをば、鍋に湯をかへらかし、やまふど(病人)を草席(キナ)てふものもて、むくろを巻(ゆは)へ、アツシとりおほひ、鍋の上に木を(わた)し草をしき、たゝしめてこれを(むし)(火+丞)て愈しぬ。
    (シヰ)わづらふものは、シキレベニとて黄檗(きはだ)の皮を水にひたして、ひたに洗ひ、あるは、艾蓬(ノヤ)(エモキ)の青葉を(あぶり)(まぶた)をおさへ、 腹やめば、三椏五葉(とちばにんじん) の根を採来て()て飲み、 なべてコタンの病を愈すことは、粗工(へたな)くすしの及べうもあらじ。