Up | サービス損──責任追及型社会の行き着く先 | 作成: 2006-12-16 更新: 2006-12-17 |
2. サービスを享受する者 (ユーザ) が出てくる。 3. あるユーザが,サービスを使っているときに事故に遭う。 あるいは,あるユーザの行為によって,他のある者が被害に遭う。 4. サービス提供者 (サーバ) が「サービスの管理不作為」を理由に訴訟を起こされる。 ──これが,責任追及型社会の形。 ユーザが事故に遭わないサービスはない。 また,サービスの不正使用で加害行為を行う者が現れるのを,くい止めることはできない。 事故や被害が訴訟に直結するようなら,サービス提供という行為は立たない──「サービスするだけ損」。 責任追及型社会は,何もしない者が「善良な庶民」になってサービスを裁く社会。 実際,責任追及型社会は,「善良な庶民」を主人公にする社会である。
「善良な庶民」を主人公にする責任追及型社会は,明らかに間違っている。 何が間違っている? 「善良な庶民」の了見が,間違っている。 サービスは,これを大事と思う者が守っていかなければならない。 特に,サービスを享受しているユーザには,サービスの「享受責任」として「感謝・応援・貢献」の気持と行動がなければならない。 そうでないと,責任追及型社会ではサービスは生きていけない。無惨に変形されるか潰される。 ところが,「善良な庶民」は,サービスの存在・享受をアタリマエのように思う。
「給食費未納」とか「図書館の本の切り抜き・書き込み」がモラル低下の問題として社会問題化されているが,驚くことではない。「善良な庶民」はここに行き着く。 以下に,この主題を考えるための事例を示す: 事例1 今月13日 (2006-12-13),「Winny裁判」の一審判決があって,被告有罪判決となった。 <善意・貢献・篤志>のインターネット黎明期に Winny が登場したら,それは絶賛されるものになる。 <悪意・卑しさ>が同じだけ同居するいまのインターネットの時代に登場したので,Winny は犯罪者になった。 優良なアプリケーションは,これを守るという心と行動がユーザになければ,そしてこのような心・行動と無縁の愚かなユーザがいれば,責任追及型社会では生きていけない。無惨に変形されるか潰される。 ──これが Winny 問題の本質である。
「Winny 抹殺ムーブメントは,ラッダイト・ムーブメント」 事例2 今月14日 (2006-12-14),つぎの裁判判決があった:動物公園のベンチから子どもが転倒し枯れ枝が頭に突き刺さって死亡した事故に対し,親が管理責任の訴訟を起こし,地裁が訴えを認める判決を出していたのに対し,高裁が逆転判決を出した。 このような事故も「訴訟」にのると思う者が現れるほどに,責任追及型社会は進んでいる。 事例3 2005-04-25 のJR福知山線脱線転覆事故。 これは,「サービス提供に無理をして,安全性を閑却し,事故を招く」例である。 サービス提供に無理をするのは,「ユーザを別のサービスに乗り換えさせない」「別のサービスのユーザを自分の方に乗り換えさせる」ためであり,「目先の利益に敏感に移ろう庶民」が共犯関係になっている。 「庶民は目先の利益に移ろっていてよい」というのは,間違い。 自分の「目先の利益に移ろう」行動が何をもたらすかという考え (社会構成員としての自覚) をもつ責任が,ひとりひとりにある。 |