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山田秀三 (1983), p.155
沙流川
サル (Sar 葭原〉の意。
川口から平取市街のあたりまでの、今は水田になっているあたりは、一帯の sar であったからその名がでたのだろうか。
なおもっと上に上っても Poro-sar ( 大・葭原。幌去) の地名も残っている。
サル は、また沙流川筋の大地名としても使う。
文化の進んだ有名な土地で、サルンクル (Sar-un-kur) といえば、「日高の沙流・の・人」の意味で通用していた。
北見の斜里の原名も Sar (Shar) であった。
この二つの有名な Sar を対照して、斜里はピンネ・サル (Pinne-Sar 男の・サル)、沙流はマッネ・サル (Matne-Sar 女の・サル) と呼ばれたという。
これだけの有名な大川になると、pet (河) をつけて呼ばない。
石狩川が単にイシカラ (Ish-kar) と呼ばれたのと同じである。
ただし、「松浦日誌」にサルベッとでている個所もあり、手許の更に古い図面にもサルベッと記入してあるので、Sar-pet あるいは Sar-o-pet (葭原・の・川〉の名で呼ばれた場合も、古くはあったものか。
沙流川の川口の街は、今は富川であるが、少し前までは佐留太 (さるぶと) と呼ばれていた。
Sar-putu ( 沙流川の・その川口) の意である。
なお、沙流川の雅名は、シシリムカ (Shi-shir-muka) と呼ばれたが、その意味は判然としない。
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- 参考文献
- 山田秀三 (1983) :『アイヌ語地名の研究 2 /山田秀三著作集』, 草風館, 1995
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