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藤田紘一郎 (2002), pp.171,172.
‥‥‥「清潔志向」の延長である抗生物質や消毒剤を乱用したことなどが原因となって、大腸菌の「生きる環境」を奪ってしまった ‥‥‥
大腸菌といえども立派な「生きもの」である。
生きる環境を奪われた大腸菌は、何とか生きる方法を模索しはじめた。
その結果、約 200 種類の大腸菌の奇形種が出現してきた。
その第 157 番目に見つかった「奇形種」が O157 だったのだ。
日本人は「悪玉腸内細菌」といわれた大腸菌を徹底的にいじめた。
その結果生まれてきたのが、O157 だったというわけである。
O157は、大腸菌をいじめた清潔志向の行きすぎた先進国にしか存在しない。
アメリカ、日本、カナダ、イギリス、スウェーデン、イタリアなどに存在し、私の好きなインドネシアやフィリピンなどの「発展途上国」には出現していない。
日本人がだめなのは、いったん「悪」と決めると徹底的に「いじめる」ところではないだろうか。
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同上, pp.172-175.
「悪玉」ということで大腸菌を徹底的にいじめ、その結果生まれてきた大腸菌O157だが、しかしこの菌はきわめて「ヤワな菌」であった。
生きるエネルギーの相当部分を毒素産生のエネルギーに費やしているため、「生きる力」がとても弱かったのだ。
細菌類がわんさといる「汚い場所」では生存できない。
ほかの細菌類にやられてしまうからだ。
それが証拠に私の好きな屋台や、私の家の汚い台所ではO157の中毒は起こらない。
世界で最も清潔だと考えられる「学校給食の場」が、中毒が起こりやすい場所となってしまったのだ。
そしてO157を飲み込んだ人がすべて下痢を起こすと思っている人が多いかも知れないが、私みたいに腸の中にわんさと細菌を飼っているような人には下痢を起こさせないこともわかった。
1990年に埼玉県浦和市(現さいたま市) の幼稚園で起きた病原性大腸菌O157の食中毒事件では二名の死者を出した。
しかし、この時も感染者の 30パーセントはまったく無症状、60パーセントが下痢のみだった。
感染者の 10パーセントだけが溶血性尿毒症症候群のような合併症を起こした。
大阪府堺市では約5万人の児童が同じ汚染された給食を食べている。
O157の菌はこのうち 5500名に見つかった。
食べた人の約10パーセントがO157に感染したわけだ。
この場合もそのうち約100名しか入院しなかった。
岡山県邑久町におけるO157集団中毒の際には中村明子教授(東京医大)は感染者の「清潔度」のチェックもあわせて行った。
感染者のうち、重症になった1割の子どもの多くは、「超清潔志向」に育てられた子どもたちであった。
一方、約30パーセントの生徒は無症状で、この子どもたちは「泥んこ遊び」などをよくする、清潔志向と無縁の生徒たちであった。
「超清潔志向」で腸内細菌類の種類や数の少なくなった人や、抗生物質や抗菌剤の乱用などで腸内の細菌が少なくなった人たちのお腹では、腸内細菌たちが棲んでいるアパートに「空き家」が増える。
この時O157がお腹に入ってくると、O157はその「空き家」に棲んでしまうようになり、下痢などの症状を発現するようになるのであろう。
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- 引用文献
- 藤田紘一郎 (2002) :『バイ菌だって役に立つ──清潔好き日本人の勘違い』(講談社+α文庫), 講談社, 2002.
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