1 《問いの妥当性を問う》


     ウィトゲンシュタインは,分析哲学の流れの中にあって,哲学的な問題の多くは人々の平生のことばの使用を注意深く観察することによって解消的に解決されてしまうものであると見た。文法的幻想に導かれて,奇妙な問題が生み出される。したがって,われわれがどのように言語を使用しているかを正しく理解することで,奇妙な問題は自然におさまる。

     さて,ウィトゲンシュタインの見るところでは,“心理学者たちは理解してもいない問題を解こうと試みている。それらの問題は真性の科学的な問題ではなく,むしろ実際には,一定の言語使用の内に埋め込まれたものなのである。”(Gardner,1985,p.66)
      心理学における混乱と不毛さは,それを若い科学と呼ぶことによって説明されるべきものではない──実験的方法があるばかりに,われわれは,自分を困惑させている問題を解決する手段を手にしているのだと思い込むのだが,ここでは問題と方法がすれちがってしまう。
      (Wittgenstein,PI,xiv)
     奇妙な問いを鎮めるためのオリエンテーションとしてウィトゲンシュタインが示すものは,一種のプラグマティズムである。即ち,現象を説明せずに受け入れること,説明しようとせずに記述すること,というのがそれである。