Up | 「基本」の理由 | 作成: 2014-11-24 更新: 2014-11-24 |
いまこのしくみがわたしに与えられたとしよう。 さて,コウモリの見る世界がわたしに見えるか? そうはならない。 ノイズの洪水が,わたしが対することになるものである。 先天性白内障の者が手術を受けて,目が見えるようになる。 しかし,このときの「目が見える」は,ノイズの洪水に対するということである。 (この話には,「絶望して自殺」の落ちがついているものもある。) 人間の目に入ってくるものは,ある周波数帯域の電磁波である。 電磁波は,周波数・振幅の違いしかない。 世界の像が目に飛び込んでくるわけではない。 世界の像は,ノイズの再構成という形で,人間がつくるものである。 人の「成長」には,これができるようになることが含まれる。 ある物事が対象化されるとは,ノイズからその物事を再構成するカラダができあがったということである。 このカラダは,一時には成らない。 細かで膨大な数のフィードバックを作業として経て,成る。 数学教育学の入門者にとって,「数学教育学」は最初まったくのノイズである。 このノイズの再構成ができるカラダをつくることが,「数学教育学」が見えてくるということである。 そしてこのカラダは,細かで膨大な数のフィードバックを作業として経て,成る。 このときの作業には,ガイドが要る。 素人は,独力ではノイズの再構成ができない。 即ち,独力では,荒唐無稽な再構成をやってしまう。 ガイドになるものは,「素養/教養」である。 修行は,「素養/教養」とすべき項目が自ずと定まってくる。 修行は,これらを基本項目とし,「勉強」の趣きで取り組むことになる。 |