Up 「道」の方法論 作成: 2014-11-24
更新: 2014-12-09


    「道」の哲学は,「道」の方法論を導く。
    「道」の方法論は,修行の方法論である。

    道は,<自由>を得ることがゴールである。
    道は,「<自由>を得るために<強い>を得る;<強い>を得るために<弱い>になる」を方法にする。
    この方法の実践が,修行である。


    ゴール:「天地と一つ──自由」
    生物は,「自分の遺伝子を残す──その限りで自分を保守する」が存在になったものである。 人は,この存在様式に対しとんでもなく過剰な生をもつ。
    人は,この過剰を埋めようとして,あるいは解消しようとして,いろいろなことを行う。 「求道」は,その一つである。

    道のゴールは,過剰が解消された状態である。

    過剰が解消された境地は,「自然そのもの」である。
    「天地と一つ」である。
    「天地と一つ」の感覚の反対は,自分が世界と折り合っていない感覚であり,不自由の感覚である。
    翻って,「天地と一つ」は「自由」ということである。


    <自由>になるために<強い>になる
    <自由>がゴールの修行は,<強い>を得ようとする修行になる。
    自分を不自由にしているものの超克を,<強い>に当て込むわけである。

    この当て込みに根拠はない。
    期待的に当て込むのである。


    <強い>になるために<弱い>になる
    <強い>を得るためには,先ず<弱い>になる。
    「自分は弱い」を覚えることが,「強くなる」に向かわせるからである。

    こうして,修行の出発は<弱い>である。
    修行は,「自分は弱い」といつも向き合わされるのに耐えることである。
    ──翻って,修行者をとことん弱い者に落とし込むふうになっていない「道」は,道ではない。