Up 「道」の哲学 作成: 2014-11-25
更新: 2014-12-09


    修行道を立てると,つぎに「道」の意味を定めたくなる。
    これが,自身の修行を合理化する形だからである。
    ここに,「道」の哲学がつくられる。

    例えば,つぎのような:


    <生きる>からの疎外
    生物は,「自分の遺伝子を残す──その限りで自分を保守する」が存在になったものである。
    植物は,この存在様式そのままを一生にしているように見える。
    卵からかえって,何も食せず,生殖行動し,そして死ぬ動物種は,この存在様式そのままを一生にしているように見える。

    人は,この存在様式に対しとんでもなく過剰な一生をもつふうになっている。
    人は,この過剰の処理を課題にする存在となる。
    過剰は,<生きる>からの疎外である。
    人は,<生きる>からの疎外を生きる。


    <生きる>への回帰
    「<生きる>からの疎外」の哲学は,「<生きる>への回帰」の哲学に続く。
    「回帰」の形は,ロジックとして,「天地と一つ」である。
    実際,「過剰のない<生きる>」の表現は,「天地と一つ」である。