Up | <数学>の授業設計 | 作成: 2014-12-14 更新: 2014-12-14 |
これを経て,つぎの段の「算数・数学科の<数学逸脱>の押さえ」となる。 実際,「算数・数学科の<数学逸脱>の押さえ」は,このステップを踏まねばならない。 <数学>を押さえただけでは,<数学逸脱>の同定には進めない。 <数学>の授業を立て,これと算数・数学科の内容構成を比較することで,<数学逸脱>の同定になるわけである。 このときの授業設計は,理詰めの授業設計である。 「教える」を理詰めで立てる作業である。 「教える」は,「カラダをつくらせる」である。 「カラダをつくらせる」であるから,容易なことではない。 「教える」は,理詰めで立てねば成功しない。 「<数学>を教える」は,鉄棒の「蹴上がりを教える」と同じである。 蹴上がりをできるようにするには,「教える」を理詰めで立てねばならない。 <数学>をできるようにするには,「教える」を理詰めで立てねばならない。 「楽しい授業」「知識の教え込みではなくて」の声は,「数学教育学専門」界隈でも喧しい。 このように唱える者は,「教える」がわかっていない者である。 即ち,「教える」が「カラダをつくらせる」であることを,わかっていない者である。 「<数学>を教える」は,鉄棒の「蹴上がりを教える」と同じである。 「カラダをつくらせる」である。 「カラダをつくらせる」は,「楽しい授業」ではない。 「カラダをつくらせる」は,もともと「知識の教え込み」でやれるものではない。 |