Up 「算数の授業」の評価法 (「評価作法」) : 要旨 作成: 2014-02-14
更新: 2014-02-15


    「算数の授業」の能力は,喚起した興味・関心をどれだけ長い時間持続させることができるかの能力である。
    ところで,《喚起した興味・関心を持続させる》は,<教える>とは違う。
    実際,それは,<遊ばせる>である。
    それは,<教える>にはならない。

    教員の「算数の授業」力が高いことは,生徒の算数の学力が高いことにはならない。
    むしろその逆になり得る。
    実際,生徒の学力低下が問題になって「基礎・基本」が主張されるとき,この学力低下をもたらした算数の授業は「算数の授業」である。

    単純な話で,授業が<遊ばせる>になれば,学力は低下する。
    授業が<教える>になれば,学力は向上する。

    では,どうして授業を<遊ばせる>にするか?
    <遊ばせる>でなければ授業が保(も)たないからである。
    これも,単純な話ということになる。

    「算数の授業」の評価法 (「評価作法」) は,この単純なことを見て取ることである。
    この単純なことが見て取れることが,「算数の授業」を正しく評価できたということである。

    ここで留意すべきこととして,「単純」は,「因果の対応が単純」ということである。 因果の機序(メカニズム) は複雑である。
    実際,「授業を<遊ばせる>にする」も「授業を<教える>にする」も,言うのは簡単だが,どちらもできないことである。 だから,授業者は悪戦苦闘しているわけである。──好きで悪戦苦闘しているわけではない。