Up 「算数の授業」の生態系/物理系 作成: 2014-02-01
更新: 2014-02-19


    「算数」は,人の生きる系の一つである。
    個々が自分の<生きる>を,「算数」の題目に寄せて行動する。
    その行動全体が現してくる系が,「算数」である。
    こうして,「算数」は生態系である。
    そして生態系は,専ら<運動>の視点でこれを見るとき,物理系である。

    授業は,生態系/物理系としての「算数」の現象である。
    そして「算数の授業」は,この現象の現実である。

    強調すべきは,それは独り授業者と生徒の出来事ではないということである。
    「算数の授業」は,《一つの生態系がとりわけ授業者と生徒を媒体にして表現されている》と見るものである。


    「算数」を生態系/物理系として構成しているものは?

    一人の算数の授業者から出発してみよう。
    その者を「算数の授業者」に実現するのに係わっているすべてのものが,この生態系/物理系の要素である。
    例えば,「衣・食・住」「交通」「通信」は,この生態系/物理系の要素である。
    「学校」「教員免許制度」「学校教員養成課程」「教育行政」は,この生態系/物理系の要素である。
    「教科書」「教育産業」は,この生態系/物理系の要素である。
    「研究組織」「学会」「研究大会・研究授業」は,この生態系/物理系の要素である。

    算数の授業を受けている一人の生徒から出発してみよう。
    その者を「算数の授業の生徒」に実現するのに係わっているすべてのものが,この生態系/物理系の要素である。
    例えば,「親」「家庭」「育児」「教育」は,この生態系/物理系の要素である。
    「学校制」「選択的進路」は,この生態系/物理系の要素である。
    「学校・教室」「学校の外 (環境)」は,この生態系/物理系の要素である。
    「勉強」「課外活動」「遊び」は,この生態系/物理系の要素である。

    こうして,結局すべてが「算数」を生態系/物理系として構成しているものになる。
    関係の強弱,関係の直接・迂遠の程度によって,違いを立てるのみである。


    「算数」は,このくらい系を拡げて考えないと,捉えられないものなのか?
    そうである。
    「算数」は,関係性の系である。
    この関係性のノードには,特に個々人の<生きる>がある。
    「算数」が動くとは,この関係性の系が動くということであり,個々人の<生きる>が作用を受けそして反作用するということである。
    系が大きく複雑系であるほど,系は容易に動かないものになる。全体として,変化を見せないものになる。
    「算数」はずっと「改善・改革」が唱え続けられ,しかし全体として変わり映えしない。それは,系が大きく複雑系だからである。

    逆にこのくらい拡げて考えないと,「算数」論は実践論で終始し,「新しい算数」「明日の算数」のような自惚れをやってしまう。
    「新しい算数」「明日の算数」は,自惚れ?
    これには,自惚れとビジネスの二通りがある。
    「新しい算数」「明日の算数」をやろうと思うのは,自惚れである。
    「新しい算数」「明日の算数」をキャッチフレーズにして集客し,商売しようとするのは,ビジネスである。
    そして,このビジネスは,「系を拡げる」をやることによって見えてくるものである。 ──逆に,「系を拡げる」を知らない者は,この種のフレーズで自らを騙してしまう。