Up 鈴木主水口説き 作成: 2018-10-24
更新: 2018-10-24




    花のお江戸のそのかたわらに さしもめずらし人情くどき  
    ところ四谷の新宿町よ 紺ののれんに桔梗の紋は  
    音に聞こえし橋本屋とて あまた女郎衆のあるその中に  
    お職女郎衆の白糸こそは 年は十九で当世育ち  
    愛嬌よければ皆人様が われもわれもと名ざしてあがる  
    あけてお客はどなたと聞けば 春は花咲く青山へんの  
    鈴木主水という侍よ 女房もちにて二人の子供  
    五つ三つはいたずらざかり 二人子供のあるその中で  
    今日も明日もと女郎買いばかり 見るに見かねて女房のお安  
    ある日わがつま主水に向かい これさわがつま主水様よ  
    私は女房で妬くのじゃないが 子供二人は伊達にはもたぬ  
    十九二十の身であるまいに 人に意見も言う年頃に  
    やめておくれよ女郎買いばかり 如何にお前が男じゃとても  
    金のなる木はもちゃしゃんすまい  
    どうせ切れ目の六段目には つれて逃げるか心中するか  
    二つ三つの思案と見える しかし二人の子供がふびん  
    子供二人と私の身をば 末はどうする主水様よ  
    言えば主水は腹うちたてて 何をこしゃくな女房の意見  
    おのが心でやまないものは 女房位の意見でやまぬ  
    きざなそちより女郎衆が可愛い それがいやなら子供をつれて  
    そちのお里へ出て行かしゃんせ あいそつかしの主水様よ  
    そこで主水はこやけになりて 出でて行くのが女郎買い姿  
    あとにお安は気くやしやと いかに男の我がままじゃとて  
    死んで見せよと覚悟はすれど 五つ三つの子にひかされて  
    死ぬに死なれず嘆いてみれば 五つなる子はそばへと寄りて  
    これさ母さんなぜ泣かしゃんす 気しょく悪けりゃお薬上がれ  
    どこぞ悪くばさすりてあげよ 坊やが泣きます乳下さんせ  
    言えばお安は顔ふり上げて どこもいたくて泣くのじゃないが  
    おさなけれども良く聞け坊や あまり父さん身持ちが悪い  
    身持ち悪けりゃ暮らしに難儀 意見いたせばこしゃくなやつと 
    たぶさつかんでちょうちゃくなさる さても残念夫の心  
    自害しようと覚悟はすれど あとに残りしわしらがふびん  
    どうせ女房の意見でやまぬ いっそ頼んで意見をせんと  
    さればこれから新宿町の 女郎衆に頼んで意見をしようと  
    三つなる子をせなにとかかえ 五つなる子の手を引きつれて  
    いでて行くのはさもあわれさよ 行けば程なく新宿町よ  
    店ののれんに橋本屋とて 見れば表に主水がぞうり  
    それと見るなり小しょくをよんで わしはこちらの白糸さんに  
    どうぞ会いたいあわせておくれ あいと小しょくは二階へ上がり  
    これさ姉さん白糸さんよ どこの女中か知らない方が  
    何かお前に用ありそうに 会ってやらんせ白糸さんよ  
    言えば白糸二階を下る わしをたずねる女中というは  
    お前さんかね何用でござる 言えばお安は始めてあいて  
    わしは青山主水が女房 おまえ見かねて頼みがござる  
    主水身分はつとめの身分 日々のつとめをおろそかにすれば  
    末はご扶持もはなれるほどに ことの道理を良くきき分けて  
    どうぞわがつま主水様に 意見なされて白糸さんよ  
    せめてこの子が十にもなれば 昼夜上げづめなさしょうとままに  
    又は私が去りたる後に お前女房にならんすとても  
    どうぞそののち主水様に 三度来たなら一度は上げて  
    二度は意見をして下さんせ 言えば白糸言葉につまり  
    わしはつとめの身の上なれば 女房もちとはゆめさえ知らず  
    ほんに今まで懇親なれど さぞやにくかろお腹も立とが  
    わしもこれから主水様に 意見しましょとお帰りなされ  
    言って白糸二階に上がり お安安堵の顔色浮かべ  
    上の子供の手を引きながら あとで二人の子供をつれて  
    お安我が家にはや帰られる  
    御職戻りて両手をついて ついに白糸主水に向かい  
    お前女房が子供をつれて わしさ頼みに来ました程に  
    今日はお帰りとめてはすまじ 言えば主水にっこと笑い  
    おいておくれよ久しいものよ ついにその日もいつづけなさる  
    待てど暮らせど帰りもしない お安子供を相手といたし  
    もはやその日もはや明けければ 支配よりお使いありて  
    主水身持ちがほうらつゆえに 扶持も何かも召しあげられる  
    あとでお安は途方にくれて あとに残りし子供がふびん  
    思案しかねて当惑いたし 扶持にはたしてながらえいれば  
    馬鹿なたわけと言われるよりも 武士の女房じゃ自害もしようと  
    二人子供をねかしておいて 硯とりよせ墨すり流し  
    うつる涙が硯の水よ 涙とどめて書き置き致し  
    白き木綿で我が身を巻いて 二人子供の寝たのを見れば  
    可愛可愛で子に引かされて かくてはならじと気を取り直し  
    おもい切刃を逆手に持ちて  持つと自害のやいばのもとに 
    二人の子供はそれとも知らず  早や目をさましそばに寄りて  
    三つなる子は乳にとすがり 五つなる子はせなにとすがり   
    これさかあさんもしかあさんと おさな心でただ泣くばかり  
    主水それとは夢にも知らず 女郎屋たちいでほろほろ酔いで  
    女房じらしの小唄で帰り 表口より今もどりたと  
    子供二人はかけだしながら 申し父さんお帰りなるか  
    なぜか母さん今日にかぎり ものも言わずに一日おるよ  
    ほんに今までいたずらしたが 御意はそむかぬのう父さま  
    どうぞわびして下さいましと 聞いて主水は驚きいりて  
    あいの唐紙さらりとあけて 見ればお安は血潮に染まり  
    わしの心が悪いが故に 自害したかよふびんなものよ  
    涙ながらに二人の子供 ひざに抱き上げかわいや程に  
    なにも知るまいよく聞け坊や 母はこの世といとまじゃ程に  
    言えば子供は死がいにすがり 申し母様なぜ死にました  
    あたし二人はどうしましょうと なげく子供をふりすておいて  
    旦那寺へと急いで行けば 戒名もろうて我が家へ帰り  
    あわれなるかや女房の死がい こもに包んで背中にせおい  
    三つなる子を前にとかかえ 五つなる子の手を引きながら  
    行けばお寺でほうむりなさる ぜひもなくなく我が家へ帰り  
    女房お安の書き置き見れば 余りつとめのほうらつ故に  
    扶持もなんにもとり上げられる 又も門前払いと読みて  
    さても主水は仰天いたし 子供泣くのをそのままおいて  
    急ぎ行くのは白糸方へ これはおいでか主水様よ  
    したが今宵はお帰りなされ 言えば主水はその物語  
    えりにかけたる戒名を出して 見せりゃ白糸手に取り上げて  
    わしの心がほうらつ故に お安さんへも自害をさせた  
    さればこれから三途の川も お安さんこそ手を引きますと  
    主水も覚悟を白糸とどめ わしとお前と心中しては  
    お安さんへの言いわけ立たぬ 言へば白糸主水に向ひ  
    お前死なずに永らえさんせ 二人子供を成長させて 
    回向頼むよ主水様よ 言うて白糸一間に入りて  
    あまた朋輩女郎衆をまねき 譲りあげたる白糸が品  
    やれば小春は不思議に思い これさ姉さん白糸さんよ  
    今日にかぎりて譲りをいたし それにお顔もすぐれもしない  
    言えば白糸良く聞け小春 わたしゃ幼き七つの年に  
    人に売られて今この里に つらいつとめもはや十二年  
    つとめましたよ主水様に 日頃三年懇親したが  
    こんどわし故ご扶持もはなし 又は女房の自害をなさる  
    それに私が生き永らえば お職女郎衆の意気地が立たぬ  
    死んで意気地を立てねばならぬ 早くそなたも身ままになりて  
    わしの為にと香・花たのむ 言うて白糸一間に入りて  
    口の中にてただ一言 涙ながらにのうお安さん  
    私故こそ命を捨てて さぞやお前は無念であろが  
    死出の山路も三途の川も 共に私が手を引きましょう  
    南無という声この世の別れ あまた朋輩寄り集まりて  
    人に情けの白糸さんが 主水さん故命を捨てる  
    残り惜しげに朋輩達が 別れ惜しみて嘆くも道理  
    今は主水もせんかたなしに しのびひそかに我が家に帰り  
    子供二人に譲りをおいて すぐにそのまま一間に入りて  
    重ね重ねの身のあやまりに 我と我が身の一をさ捨てる  
    子供二人はとり残されて 西も東もわきまえ知らぬ  
    幼心はあわれなものよ あまた心中もあるとはいへど   
    義理を立てたり意気地を立てる  
    心おうたる三人共に 心中したとはいと珍しや   
    さても哀れな二人の子供 見れば世間のどなた様も   
    三人心中の噂をなさる 二人子供は路頭に迷う   
    これも誰ゆえ主水が故よ 哀れなるかや二人の子供   
    聞くもあわれな話でござる