Up | トップダウン存在論 | 作成: 2018-06-05 更新: 2018-06-08 |
しかし後継者は,この「解脱」論を「成仏」論に変えて,仏教を宗教にしていく。 併せて,教理と実践の二本立ての教学に仕立てていく。 密教では,「仏」は<宇宙の仏格化>というものになる。 「成仏」は,したがって,<宇宙の理の悟り>ということになる。 宇宙の理にアプローチする方法は,科学である。 宇宙の理に対しこれの悟りを立てるのは,愚である。 この愚は,「時代的限界」のことばで斟酌されるものではない。 古代においても科学的アプローチは存在したからである。 「悟り」を奉じる者はいまの時代にもいるからである。 「悟り」を立てるのは,時代ではなく,個人の資質である。 空海は,「歴史」がわからない者である。 これが,空海の資質である。 空海にとって世界は,まさしく曼荼羅図の世界である。 ──曼荼羅図の本質は,「時間軸が無い」ということである。 空海にとって『般若心経』は,曼荼羅図に当て嵌めていくものになる。 「不生不滅 不垢不浄 不増不減」「無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無眼界・無意識界 無無明・無無明盡 無老死・無老死盡 無智・無得」は,「色即是空空即是色」のパラフレーズである。 しかし空海にとっては,曼荼羅の諸仏 (これを教主とする宗派) と律儀に対応づけるべき要素概念というものになるのである。
文殊:文殊菩薩 簡持:弥勒菩薩 帰一:観世音菩薩 曼荼羅図は,トップダウン型の存在論である。 つぎの存在論と同類である:
トップダウン存在論は,存在を理の現象にする存在論である。 理がトップで,存在がダウンである。 この存在論は,存在の階層的生成──これは,時間進行のボトムアップ──を見ない。 自然に感嘆する一方で,自然を観察しない。 自然を本当に見ていないから,神仏への短絡になる。 理と存在の関係は,「存在は理を現し,理は存在を現す」である。 ──ちなみに,「色即是空,空即是色」はこのように解するものである。 |