カミュは,「革命」を否定する者であった。
そして「革命」とはちがう「反抗」の実践論を生真面目に対置しようとする者であった。
ところが彼は,一方でつぎのように述べていたのである:
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Camus (1951), p.257.
ヨーロッパの秘密は、もはや人生を愛さない点にある。
ヨーロッパの盲人たちは、人生の一日を愛することは、圧迫の数百年を正当化することになると、子供らしく思い込んでいた。
限界にたいする焦慮、二重生活の拒否、人間であることの絶望は、結局彼らを非人間的な過激に投げ込んだ。
人生の正しい偉大さを否定して、彼らは自分の優秀さにすべてを賭けなければならなかった。
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とすると,カミュはさしずめ,実践論を対置しないことは「圧迫の数百年を正当化することになると、子供らしく思い込」む者ということになる。
実際,「反抗」の実践論など余計なことだからである。
ひとは,生活の上にさらに実践論を措くようなものではない。
カミュは,デカルトのコギトに倣った「われ反抗す,故にわれらあり」を言う。
しかし,「われらあり」は,「われ生活する,故にわれらあり」で完結しているのである。
神が死んで困るのは,ヨーロッパの類である。
不条理に苦しむのは,ヨーロッパの類である。
ヨーロッパの外は,不条理には「世の中そんなもんだ──他にどんなだというのだ」で対する。
<生きる>において,ひとは格別な生物であるわけではない。
生物がその中で生きている世界には,条理と不条理の別なぞない。
生物の実践論は,「生活を努める」である。
生物の「反抗」は「生活を努める」のうちである。
カミュは「反抗」などとなぜ余計なことを言うのか。
「人それぞれ」をやはり信じていないからである。
「人間のあるべき」を立て,「われわれ」「連帯」を言ってしまうのである。
カミュにとって,「道徳」や「正義」は意味のあることばである。
根っこのところでは,彼が批判する者たちと変わらない。
ヨーロッパのうちなのである。
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Camus (1951), pp.262,263.
適宜に歴史に反抗することを知っている者が、歴史を前進させることができる。
これには限りない緊張と、ルネ・シャールが語っている痙攣した平静が予想される。
だが、真の人生はこうした分裂の只中に現れる。
人生はこの分裂そのものであり、精神は光線の火山の上を漂い、正義を狂おしく求め、中庸について甚しく頑固になる。
反抗の長い冒険の果で、われわれの耳に鳴りひびくものは、不幸のどん底では用をなさない楽天主義のことばではなくて、海辺では同じように美徳である勇気と知性のことばである。
こんにちいかなる叡智も、これ以上のものをあたえると称することはできない。
反抗は性こりもなしに悪と戦っているので、悪から新しい飛躍を引きだすより仕方がない。
人間は自分のなかの抑えるべきものを抑えることができる。
創造のなかで修正しうるものを修正しなければならない。
その後で、完全な社会になったとしても、子供はやはり不当な死に方をするだろう。
人間は最大の努力を払っても、世界の苦痛を数字的に減らすことを考えることしかできない。
それでも不正と苦悩は残るだろう。
数がどんなに限られても、それらはやはり言語道断だろう。
ドミトリ・カラマーゾフの「なぜか?」の叫びはひびきつづけるだろう。
芸術と反抗は、地上最後の人間とともにはじめて消滅するだろう。
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ヨーロッパの外は,これを「ヨーロッパ・センチメンタリズム」と定めて済ますのみである。
引用文献
- Camus, Albert (1951) : L'Homme révolté, Librairie Gallimard, 1951.
- 佐藤朔・白井浩司 [訳]『反抗的人間』, 新潮社, 1956.
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