カミュは,「過激」を退ける方法論をつくる。
「中庸」が,これである。
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Camus (1951),, p.257.
過度が限度を組織するのにふさわしい思索を呼び醒ます。
‥‥‥
現実は完全には合理的でなく、
合理的なものがまったく現実的なのでもない。
‥‥‥
不合理は合理を制限し、
合理はまた不合理に限界をあたえる。
‥‥‥
変化の創始者へラクリトスは、この永遠の流転に限界をあたえた。
この限界は、中庸の女神で、過激の宿敵であるネメシスによって象徴された。
反抗の現代的矛盾を念頭に入れようとする思索は、この女神に霊感を求めるべきであろう。
道徳的矛盾もまた、この調停的価値の光線に照らして漸く解決されはじめる。
徳が現実から離れるときには、悪の原理とならざるをえない。
それが完全に現実と同化するときはまた自己を否定せざるをえない。
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<どっちもどっち>の言い方がされているが,これはわれわれには仏教でお馴染みのものである。
実際,これが「中庸」の言い方になる。
カミュは,この「中庸」に,夜に対する昼,ヨーロッパに対する地中海のイメージを与える:
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同上, p.260
知性がきびしい日光とかたく結ぼれている地中海こそ、この人間性の秘密を保持している。‥‥
ヨーロッパはいつも、この正午と深夜の闘争の中にあった。
この闘争を見棄て、夜で昼を辱かしめるとき、ヨーロッパは堕落した。
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引用文献
- Camus, Albert (1951) : L'Homme révolté, Librairie Gallimard, 1951.
- 佐藤朔・白井浩司 [訳]『反抗的人間』, 新潮社, 1956.
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