マルクス=エンゲルスは,科学を標榜する者である。
しかし,<科学を立場にしている>は,<科学をやっている>とはならない。
<科学を立場にしている>は,慢心になり,雑なロジックをつくり出す。
つぎは,青年ヘーゲル派に対するマルクス=エンゲルスの批判:
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Marx=Engels (1846), 序文, p.16
あるときひとりの感心な男が、人々が水におぼれるのはただかれらが重力の思想にとりつかれているからだと想像した。
もしもかれらが、この観念を迷信的な観念だとか宗教的な観念だとか宣言でもして頭におかなくなれば、かれらはどんな水難にも平気でいられるであろう、と。
一生涯かれはこの幻想とたたかった。
重力の幻想の有害な結果についてはどの統計もあらたな数おおくの証明をかれにあたえたのだった。
この感心な男こそドイツのあたらしい革命的な哲学者たちの典型だったのである。
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しかし,マルクス=エンゲルスは,イデオロギーを批判しながらイデオロギー「共産主義」をつくる。
──そして「マルクス主義」という最も全体主義的な精神主義を招くもととなる。
これは,ミイラ取りがミイラになる体である。
<科学を立場にしている>は,当てにならない。
<科学を立場にしている>の肝心は,どんな「科学」をどれほど修めているかである。
間違いの予防は,適切な「科学」を修めていることによる他はない。
上の青年ヘーゲル派批判では,「重力」がメタファに用いられている。
この「重力」は,ニュートン力学の「重力」である。
今日だと,これは「重力場」にできる。
そして「重力場」だと,マルクス=エンゲルスのイデオロギー化邁進を鎮める効果があったかも知れない。
実際,「重力場」メタファだと,人の系は
「個々がこれの因子となるところの,自己生成する系」
になり,
「個の行動は,系を変えることになるが,系の変化の制御はできない」
となるわけである。
引用
- Marx=Engels (1846) : Die Deutsche Ideologie
- 古在由重 [訳]『ドイツ・イデオロギー』(岩波文庫), 岩波書店, 1956
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