Up システム学不能 作成: 2020-03-25
更新: 2020-03-31


      Marx=Engels (1846), pp.43,44
    すなわち労働が分配されはじめるやいなや、各人は一定の専属の活動範囲をもち、これはかれにおしつけられて、かれはこれからぬけだすことができない。
    かれは猟師、漁夫か牧人か批判的批判家かであり、そしてもしかれが生活の手段をうしなうまいとすれば、どこまでもそれでいなければならない──
    これにたいして共産主義社会では、各人が一定の専属の活動範囲をもたずにどんな任意の部門においても修業をつむことができ、社会が全般の生産を規制する
    そしてまさにそれゆえにこそ私はまったく気のむくままに今日はこれをし、明日はあれをし、朝には狩りをし、午後には魚をとり、タには家畜を飼い、食後には批判をすることができるようになり、しかも猟師や漁夫や牧人または批判家になることはない。

    マルクス主義は,「社会が全般の生産を規制」のことばを信じるものである。
    信じていられるのは,「社会が全般の生産を規制」の内容を深くは考えないようにしているからである。
    共産主義体制がひどいことになるのは,この思考停止の報いというものである。

    この思考停止は,「システム」の考えがひどく幼稚であることの現れである。
    マルクスの『資本論』は,中身は「商品論」ないし「商品経済論」である。
    これは,システム学である。
    しかしマルクスは,「システム」の考えの核である「形式と内容の区別」を失する者となった。


    「資本論」の標題は,「資本家」という階級概念に誘導されたためである。
    マルクスは,「支配階級 -対- 被支配階級」の図式を立てる者であった。
    ──「ブルジョア -対- プロレタリア」は,この図式の(いち)バージョンである。
    そして,「支配階級の打倒」として「共産主義革命」を立論する。

    「形式と内容の区別」の考えがもたれていれば,「支配階級の打倒」の立論は,支配階級とこの階級を占めている者を先ず区別することになる。
    形式がもし残るべきものなら,内容の殲滅は,新たな内容による形式の充填を呼び込むのみである。

    共産主義革命も,こうなるのみのものである。
    「全般の生産を規制」するのは具体的な誰かであるが,その誰かは支配階級になる。
    実際,共産主義体制は,革命で打倒した支配階級よりいっそう容赦のない支配階級を形成するばかりとなったわけである。


    マルクスは,『資本論』および史的唯物論を以て,現支配体制自壊の必然を説く者であった。
    このとき「自壊」の内容を,「被支配階級が支配階級を暴力で倒す」に定めた。
    他の形を想像できなかったのは,彼が「正反合」の弁証法に()くヘーゲリアンだったからである。

    現代のわれわれは,「自壊」を実際に経験したきた/している者として,「自壊」の内容を知っている。
    自壊のダイナミクスは,マルクスが同定したように,商品経済である。
    ただマルクスは,自壊の形を読めなかった。
    自壊の形は,つぎの通りである:
      商品経済は階級をなし崩しにする。
      商品経済がつくる人の分類は,「成功者・失敗者」である。
      成功者・失敗者は絶えず交替する。
      成功者とは, 「明日は失敗者」のことである。



    引用
    • Marx=Engels (1846) : Die Deutsche Ideologie
      • 古在由重 [訳]『ドイツ・イデオロギー』(岩波文庫), 岩波書店, 1956