Up | 革命屋 | 作成: 2020-02-21 更新: 2020-02-21 |
ひとはこの世の中に対し,
「体制を改めるべし」 二つの比重は,ひとによって変わる。 思いの内容・深さも,ひとによって変わる。 そして一人に限っても,状況や気分によって,これらは変わる。 ひとはだいたい,年を重ねるにつれ (つまり,成長するにつれ),「世の中,こんなもん」になる。 翻って,若い時は,「体制を改めるべし」がふつうである。 成長は,「善悪」で世の中を見ることから始まり,だんだんと「善悪は立たない」になっていく。 なぜ「善悪」で世の中を見ることが最初なのかというと,これが未熟な頭脳に可能な見方ということになるからである。 ──教育は,子どもに「善悪」で世の中のことを教える。 もっとも,大人にも「体制を改めるべし」の者はふつういる。 実際,《「善悪」で世の中を見る》は,大人にも多い。 しかし大人の場合特徴的なのは,《「賢愚」で世の中を見る》である。 特にインテリの「体制を改めるべし」は,これである。 彼らは,「体制が宜しくないのは,俗物がこれを動かしているからだ」「みなが (自分のように) 賢ければ,世の中は変わる」と思う。 さてひとのなかには,「体制を改めるべし」の思いが人格を形成してしまったタイプの者が存在する。 この者たちを,革命屋と呼ぶことにする。 例えば,「間違いは正すべし」の思いが人格を形成しているクレーマーは,革命屋である。 自分の属する組織を情けないものに見てこれの改変を思う者は,革命屋である。 革命屋は,ありふれた存在である。 「革命屋」の言い回しは,これを「革命家」と呼ぶわけにはやはりいかないからである。 「革命屋」は引っ込みがつく (店をたためる) が,「革命家」は引っ込みがつかない。 ちなみに,引っ込みがつかない者は,あぶない者である。 権力者があぶない者になるのは,引っ込みがつかない者だからである。 そして「革命家」は,権力から遠くても,危ない者である。 自分の延命の方法が,デマゴギーとテロに限られるからである。 |