Up 「英語で授業」は,状況の錯認 作成: 2010-10-19
更新: 2010-10-19


    グローバリズムの時代に活躍できる人材に自らをつくろうとし、そのために海外の大学で勉強しようとする者は、アメリカの大学に行くのが合理的である。
    日本の大学はいまアメリカの大学もどきをやろうとしているが、この種の日本の大学に来る理由はない。

    日本の大学で勉強しようと海外から来る者は、日本を勉強するために来るのである。
    特に、授業で日本語にさらされるために来るのである。
    <必要に応じて使う>というのが,授業での英語の使い方になる。

    日本の大学が日本的であることは,恥ではない。
    日本の大学が日本的であることは,日本の大学の後進性を示すのではない。
    しかし,「改革」の時代にはいつも,日本は自分が日本的であることを恥にする。
    いまの国立大学は,これである。