Up 「往還型カリキュラム」は箱物 作成: 2009-12-20
更新: 2009-12-20


    「往還型カリキュラム」は,一定の条件の充足の上に,はじめて意味をもてる。 条件充足のないところにこれを行おうとすれば,「往還型カリキュラム」はただナンセンスなものになる。

    「往還型カリキュラム」では,<往還の作業をする主体>の概念が立たねばならない。
    <主体>の単位がひとりの教員であれば,この概念は立ちやすい。 問題は,<主体>の単位が複数の教員になっている場合である。 このときは,<往還の作業>の連続性の実現が,「往還型カリキュラム」の条件になる。 そして,現前の「往還型カリキュラム」はこのケースである。

    大学教育は,教員一人が数個の科目を開くという形になっている。 これの上で<往還の作業>の連続性を実現するとは,教員Aの担当科目のアウトプットを教員Bの担当科目のインプットにするというように,科目をつなぐということである。
    <つなぐ>が,「往還型カリキュラム」の<リアリティ>である。

    つなぐのは,教員Aと教員Bである。
    科目をつないだつもりは,科目をつないだことにはならない。
    教員Aと教員Bは,ほんとうにつなぐのか?

    「往還型カリキュラム」を進めている者は,つぎのことを当て込んでいることになる:
    教員Aと教員Bは,<つなぐ>の意味を自ずと理解し,具体的な方法を自ずと持ち,そしてつなぐことを自ずとやる。
    ("If we build it, they will come.")
    しかし,<つなぐ>については,「往還型カリキュラム」を進めている者自身,考えを持てない。 実際,だれも考えを持てない。 そして,考えを持てない者同士がいっしょになって,「往還型カリキュラム」を進める。

    いっしょになれるのは,<つなぐ>というリアリティのことでは,一斉に思考停止するからだ。「だれも考えを持っていない」という事実から一斉に目を逸らす。
    実際,思考停止をやめ,目を逸らすのをやめれば,「往還型カリキュラム」をストップさせることになる。 人間関係を面倒にしないためにこれはしないという暗黙の合意,集団心理が,出来上がっているのである。