Up | 「全面実施」の号令一下で起こること | 作成: 2010-01-11 更新: 2010-01-11 |
教員は,往還型カリキュラムの概念に疎遠である一方で,大学教員の勘から,これを信じない。調べようという気にもならない。 一方,トップダウンには従う。そのような体質が既に形成されている。 そこで,どのような行動になるか? 「号令には応じたぞ」という形づくりをして,済まそうとする。 さて,「往還型カリキュラム全面実施」が直接外に見える形は,科目構成の変更である。 そこで,これをやって,「往還型カリキュラム全面実施」をやったことにしようとする。 先ず,「往還型カリキュラム全面実施」の科目構成を思い描く。 ただし,科目は変数にして,外形を描く。 つぎに,この外形が実現されるように,具体的に科目を置いていく。 問題は,このときどんなことが起こるかである。 科目のこれまでの配置には,意味があり,ロジックがある。 しかし,科目はいまや,ある建物の形をつくるためのブロックに見なされている。 科目間の教育的連関を考慮の外におき,建物の形をつくるためだけに,あっちへやったりこっちへやったりをする。 CAP・GPAもこれに絡むので,作業はさらに混沌としてくる。 科目間の教育的連関を考慮の外においているだけではない。 新しく並べた科目の間では,本来,科目担当者間連絡としての「往還」コミュニケーションが行われることになっている。 しかし,そのようなコミュニケーションは,はなから信じられていない。 本気でやる者がいるとは,だれも思っていない。 少なくとも,自分が当事者になるとは思っていない。 こうして,ただ「積み木ごっこ」が行われる。 そして,この「積み木ごっこ」は,罪のない遊びで終わるのではない。 科目が,教育課程が,これによって壊されるのである。 「往還」の建物の形づくりは,科目・教育課程をどのように壊すものになるのか? 小学校教諭免許科目に「○○科教材研究」「小学校○○」というのがある。(「○○」には科目名が入る。) これらの科目の履修年次は,通常「2年次から」である。 教員養成課程の学生は教科専門性をつけることになり,そのため教科専門のグループの一つに属することになる。 このとき,「専門性陶冶は,教科が何であっても同じである (専門性の転移)」の立場に立っている。 そこで,教科によって履修年次を変えるというようなことはせず,ひとしく「2年次から」にしている。 しかし,この履修年次では,「往還型カリキュラム」の建物の形がつくれない。 そこで先ず,「履修年次の固定」を導入する。 「往還」のラインを引く都合から,「固定」にしなければならないのである。 そして,これまた「往還」のラインを引く都合から,一部の科目を3年次履修に回すということをやる。 これをやる者は,自分が何をやっているのかわからないで,やっている。 やっていることは,この教員養成課程から「専門性陶冶」の哲学を失わせるということである。 哲学の喪失は,目に見えない。 ひとは,目に見えないものを無いものとイコールにする。 しかし,真に重要なものは,目に見えないものである。 「往還」の建物の形をつくる作業に参画している者は,「往還」をどんなふうにとらえているのか? つぎが,一つの例になる:
「往還」をつくるとは,「往還」の<何が・どうして・どのように>を具体的内容で埋めるということである。 しかし,この作業を課したら,応ずる者がいなくなる。 そこで,上のような文言がつくられればよしとされる。
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