Up 人権を説く者 : 要旨 作成: 2014-12-25
更新: 2014-12-29


    「倫理・人権」科目の「倫理・人権」の表題は,ミスリーディングである。
    組織・社会があれば,倫理がある。「倫理」は,「組織・社会」の含意である。
    これに対し,「倫理」に「・人権」をつないで「倫理・人権」をつくるのは,独特の考え方であり,実際,イデオロギーである。

    「人権」の考えは,「虐げられる者」を立て,「虐げられる者がいるのは,虐げられる者を人と見ない虐げる者がいるからだ」を立てる。 そして,虐げられる者を人にするために,「人権」を立てる。
    しかし,「人権」を立てても,「虐げられる者」は依然としてある。 そこで,「人権」の考えは,「虐げられる者がいるのは,虐げる者が改心しないから;改心しないのは,虐げる者がもともと悪者だから」を立てる。
    そして,「退治」の考えに進む。

    「退治」の考えは,「ガン細胞退治」の考えになる。
    そこで,「無慈悲な鉄槌」の是認になる。


    人権を説く者は,「世直し」を想う者である。
    その「世直し」は,どんな社会の実現か?

    人権を説く者は,「差別される者」を立て,差別のない社会を想う。
    そして,「差別がない」を,「平等」にする。
    人権を説く者は,「みなが平等な社会」を想う。

    どうなることが「平等」?
    人権を説く者は,「共同」を「平等」の形と定める。

    「共同」は,成り立たない。
    このことを以て,「共同」は自家撞着である。


    「世直し」のための「悪者退治」の実態は?
    人権を説く者は,<慣行>を裁く。

    「これまでこれでやってきている」「どこでもふつうにやっていること」は,時代の変化で「人権犯罪」になる。
    例えば,コスト感覚の変化に対応しない/できないことは,「人権犯罪」になる。

    構造的に,若い者は人権犯罪者にはならない。
    人権犯罪者になるのは,「これまでこれでやってきている」「どこでもふつうにやっていること」を自分の理にしている年のいった者である。
    その者は,「えっ,うそー」といった感じで,犯罪者になってしまう。


    人権を説く者は, なぜ変な方向に進んでしまうのか?
    「人権」は,方便である。
    人権を説く者は, このことを知らない。
    「人権」を真に受ける。

    ひとが方便を使えば,必ず極端に向かう。
    モンスター・クレーマーが現れる。
    クレーマーはクレーマーを呼び,社会はクレーマー社会になる。
    「クレーマーを満足させる」は,コストとのいたちごっとになる。
    社会は,これですっかり疲れてしまう。
    一方,クレーマー社会こそが,人権を説く者の生業が立つ社会である。 人権を説く者は,自家撞着する。

    人権を説く者は, 「人権」無視を続けるシステム,「虐げられる者」を相も変わらず生み出すシステムとして「権力」を措定し,この権力の打倒をソルーションに定める。
    このとき,「権力の打倒は権力を以て!」を立てる。
    そこで,「権力奪取」が実践行動になる。

    穏やかな「権力奪取」は,国・自治体の議会で自派/自党が多数を占めるようにすること,長に自派/自党の者を就けることであり,「選挙活動」が実践行動である。
    過激な「権力奪取」は,「革命」である。即ち,「虐げられた者」が「虐げる者」と血戦をして,勝利することである。

    「権力奪取」は,その過程において,そしてこれがなった後も,人権派内部の「権力闘争」に姿を変えていく。
    これは,「相手を殺らねば自分が殺られる」の構図になる。
    敵対関係は,「虐げる者」に対する敵対関係よりはるかに熾烈で,陰湿なものになる。
    「権力奪取」後は,「粛清」が定番である。