Up | おわりに | 作成: 2009-07-18 更新: 2009-07-18 |
この<なりふりかまわず>行動のひとつとして,免許・位・のれんを売るというのがある。 免許・位・のれんの発行権限をもっている者は,これで商売したい誘惑にかられる。 金がかからないから──この意味で,タダであるから──だ。 しかしその者は,このとき,「タダのものがなぜ売れるのか?」と考えねばならない。 買う者は,<ひとの信用を得られるもの>としてこれを買っているのである。 免許・位・のれんといったものは,<信用>が実体である。 <信用>は金では買えない。 一方,免許・位・のれんの証文は,売買の対象になり得る。 この売買において<信用>は無効になるが,ある期間,これを信用するようひとを騙したり自らを騙したりすることができる。 で,それからどうなる? 虚偽が通用しなくなり,信用も失われる。 <信用>を実体としていた免許・位・のれんは,意味のないものになる。 歴史の授業で習った「免罪符」は,カトリック教会が経費をひねり出すために免罪符販売をやり,これが宗教改革を招くことになるというストーリーだが,これは<信用>を商品にするとどんな顛末になるかということを教示している。 免許・位・のれんを売って商売しようとするのは,免許・位・のれんがタダに見えるからである。 つぎのように思える者は,免許・位・のれんを売って商売することは「割に合わない」と考える:
「この商売を成り立たせているのは信用であるが,この商売で信用そのものが失われる」 「莫大な時間・労力・費用をかけることをこれまでやってきて,いまの信用がある」 「法人化」の国立教員養成系大学は,大学院不況に際して,「教員免許をとりたいなら,大学院へ」を考え出した。 「法人化」体制は「学長の強力なリーダシップ」体制であり,この体制では,考え出すことは強行することである。 「教員免許をとりたいなら,大学院へ」の実施がトップダウンされる。 ここでトレードオフされたのは,大学院と教員養成のモラルである。 しかし,「大学院と教員養成のモラルよりもっと大事なことが,ここで択ばれているのだ」という漠然とした印象が,組織を支配する。その「もっと大事なこと」とは,<なりふりかまわず>になるということである。 こういうわけで,「しようがない」と言うことが,この場面における「知的なふるまい」というものになる。 |