|
四
山口村の吉兵衛という家の主人、根子立という山に入り、笹を苅りて束となし担ぎて立上らんとする時、笹原の上を風の吹き渡るに心づきて見れば、奥の方なる林の中より若き女の穉児を負いたるが笹原の上を歩みて此方へ来るなり。
きわめてあでやかなる女にて、これも長き黒髪を垂れたり。
児を結いつけたる紐は藤の蔓にて、着たる衣類は世の常の縞物なれど、裾のあたりぼろぼろに破れたるを、いろいろの木の葉などを添えて綴りたり。
足は地に着くとも覚えず。
事もなげに此方に近より、男のすぐ前を通りて何方へか行き過ぎたり。
|
|
|
九
菊池弥之助という老人は若きころ駄賃を業とせり。
笛の名人にて夜通しに馬を追いて行く時などは、よく笛を吹きながら行きたり。
ある薄月夜に、あまたの仲間の者とともに浜へ越ゆる境木峠を行くとて、また笛を取り出して吹きすさみつつ、大谷地というところの上を過ぎたり。
大谷地は深き谷にて白樺の林しげく、その下は葦など生じ湿りたる沢なり。
この時谷の底より何者か高き声にて面白いぞーと呼ばわる者あり。
一同ことごとく色を失い遁げ走りたりといえり。
○ |
ヤチはアイヌ語にて湿地の義なり、内地に多くある地名なり。
またヤツともヤトともヤともいう。
|
|
|
|
一七
旧家にはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。
この神は多くは十二三ばかりの童児なり。
おりおり人に姿を見することあり。
土淵村大字飯豊の今淵勘十郎という人の家にては、近きころ高等女学校にいる娘の休暇にて帰りてありしが、或る日廊下にてはたとザシキワラシに行き逢い大いに驚きしことあり。
これは正しく男の児なりき。
同じ村山口なる佐々木氏にては、母人ひとり縫物しておりしに、次の間にて紙のがさがさという音あり。
この室は家の主人の部屋にて、その時は東京に行き不在の折なれば、怪しと思いて板戸を開き見るに何の影もなし。
しばらくの間坐りて居ればやがてまた頻に鼻を鳴らす音あり。
さては座敷ワラシなりけりと思えり。
この家にも座敷ワラシ住めりということ、久しき以前よりの沙汰なりき。
|
|
「ザシキワラシ」は,山人の子どもである。
好奇心や物色目的で,平地人の家に潜んで訪れるというわけである。
|
二九
鶏頭山(けいとうざん)は早池峯の前面に立てる峻峯なり。
麓の里にてはまた前薬師(まえやくし)ともいう。
天狗住めりとて、早池峯に登る者も決してこの山は掛けず。
山口のハネトという家の主人、佐々木氏の祖父と竹馬の友なり。
きわめて無法者にて、鉞(まさかり)にて草を苅り鎌にて土を掘るなど、若き時は乱暴の振舞のみ多かりし人なり。
或る時人と賭をして一人にて前薬師に登りたり。
帰りての物語に曰く、頂上に大なる岩あり、その岩の上に大男三人いたり。
前にあまたの金銀をひろげたり。
この男の近よるを見て、気色ばみて振り返る、その眼の光きわめて恐ろし。
早池峯に登りたるが途に迷いて来たるなりと言えば、然らば送りて遣るべしとて先に立ち、麓近きところまで来たり、眼を塞げと言うままに、暫時そこに立ちている間に、たちまち異人は見えずなりたりという。
|
|
|
三一
遠野郷の民家の子女にして、異人にさらわれて行く者年々多くあり。
ことに女に多しとなり。
|
|
|