Up 『蝦夷迺天布利』(往路) : 日毎行程 作成: 2024-11-30
更新: 2024-12-06


    菅江真澄の紀行文は,移動途中の地名を細かく記している。
    しかし読者は,その地名の指す場所がわからない。
    ということで,この『蝦夷迺天布利』において,移動場所を松浦武四郎の地図 (『東西蝦夷山川地理取調図』,1859)日毎に表してみることにした。

    ほんとうは,この『蝦夷迺天布利』をワン・ストップのテクストにしたいところである。
    しかし,書籍のテクストをデジタルにする作業は,わたしの場合,タイム・パフォーマンスが悪過ぎる。
    即ち,「OCN で変換したものを修正」の作業になるわけだが,今は使われない漢字/異体字がやたら出てくるわ,アイヌ語・和語読みのルビがやたら細かいわで,タイム・パフォーマンスを考えてしまうことになるのである。
      いまは著名な古典が多くデジタル化され,ずいぶんと便利な時代になった。
      しかし菅江真澄は,まだこれの枠外である。

    テクストを引用する文献は,(『菅江真澄全集 第2巻』, 未来社, 1971 ではなく)『菅江真澄集 第4』, 秋田叢書刊行会, 1932 とした。
    これだと,国立国会デジタルコレクション を利用することができ,そして画像も付いているからである。


    (本サイトの画像はすべて,クリックで拡大表示へ)

    アイヌに関する記述は,6月に入ってから多くなる。
松浦武四郎の地名地図 (1859)



菅江真澄が書いた行程地図 (1792)
(当時は,恵山岬から沖へ,砂嘴が長く延びていたようだ)



上図は,上が北になるように,オリジナルを回転している。
当時の地図は, 下が北 ── 松浦武四郎が使用した地図も, 下が北。
つぎが,オリジナル:
「曳絲形は往復の街道
 繍絲形は鍼路にして凡斯離宇地夜末(しりうちやま)より
 衣度母(えとも)の浦まてめくりめくりたる
 磯回船路のあらましを(カタ)にしてしらしむ」